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「伊勢金比羅参宮日記」を含む歴史関係、日々の料理レシピ、乾癬について、山歩き、生活の知恵、5人の子育てなど、多岐にわたる個人ブログです。

ライフシフト 生活

 50代男性にとっての涙とは

投稿日:

いつからこんなに涙もろくなったのだろう?

 そう感じた同輩は多いと思う。50歳を過ぎた頃からだろうか?

 映画を観ては泣き、本を読んでは泣き、懐メロを聴いては泣き、それを思い出しては泣き、NHKのど自慢でも泣き、朝ドラ見ては朝ごはん食べながら泣いている。

 身体全体としては、皮膚はカサカサ乾いてきているのに、目もしょぼしょぼとドライアイ、口の中も唾液が少なくネバネバ。
 心もトキメキがなくなり、渇き気味。

 なのに、事あるごとに溢れる涙。

あちこちのパッキンが緩んできたせいなのか?

 「チョイ漏れオヤジ」という言葉を聞いた時、自分の事だと思った。

 確かに、あちこちの筋肉が衰えて、引き締めておかねばならぬ筋肉が緩んでチョイと漏らしてしまうというのは十分考えられる。

 若い頃、サウナに行った時に、「どうしてお年寄りの尻の穴はあんなによく見えるのだろう?」と思ったが、あれはお尻をキュッと絞めておく筋肉が緩んで左右のお尻が開き、穴が丸見えになってしまうのだろう。

 やや、自分も今はそうなのだろうか?そう考えると、温泉やサウナにも行けなくなる。

 NHK「チコちゃんに叱られる!!」によると「脳のブレーキが緩むから」

「抑制が効かなくなる」と言うのは確かに思い当たる節がたくさんある。

 些細なことでイライラしてしまったり、怒ってしまったり。
 それと同様に些細なことで感動したり、泣いてしまったり、となってもおかしくはない。

 これからもっとエスカレートしてしまうと、「キレル老人」になってしまうのだろうか?それも恐ろしい。

 「恥ずかしい」と言う感覚が、若いころと違ってきたのは間違いがない。

 電車に乗って赤ちゃんがいると、ついついコソッとベロベロバーとやりたくなってしまう。これは若い頃にはあり得なかった。

 「別にそんなの恥ずかしいことじゃないじゃないか」と子供にも言うようになった。
 「無理無理」って返される。

 やはり若い頃とは、感覚が明らかに違ってきている。

「恥ずかしい」ことの概念が変わってきている。

 子供の頃に、床屋で後頭部をカリアゲにされたら翌日学校へ行きたくなかった。今ではそんなのヘッチャラだ。

 授業の途中で「先生、トイレ行ってきます!」と言うのも無理だった。まして、大きいのをする方に入ることさえ出来なかった。これも今ではなんてことはない。

 大学時代から大きく変わったと思う。あの頃が子供から大人への転換期だったのかな?

「大袈裟に感動するようになった」

 いいのか悪いのかわからないが、やたらと感動するようになった気がする。若い頃は大人が感動していてもその脇で「ふ〜ん、別にそこまで大袈裟に感動するほどのものじゃないし」って思っていた。

 「モノの本質がわかるようになった」なんて書くと偉そうだが、きっとその感動の元の背景を想像することが出来る様になったこともあるかと思う。
 いやいや、そんなすごいことではなくて、偉そうなことではなくて、ただただ「脳のブレーキ機能の低下」そう、「機能低下による産物」なんだろうと思う。そう思っていた方がいい。

 柔軟性とは緩むこと

 たくさんの失敗をしてきたから、すべてがきっちりとしていることばかりがいいことではないと言うことも学んできた。仕事は色々な方面に対して調整して自分のできることを無理なくやる。自分ひとりでやれる仕事など思ったほど多くないと言うことは年齢をかさねるごとに思い知らされる。自分は無力だったと思うことばかりだ。この歳で、なんでも自分ひとりでやってきたと言い切るほど恥ずかしいことはない。
 心も体も一緒で、柔軟性がなくなった分、節々を緩めて遊びの部分を多くしないと収まりが悪くて仕方がないのだろう。

 緩むことは悪いことではなく、機能低下を補うベストな防御反応なのである

  緩むことは潤滑剤にもなり、緩むことで受け入れられることもある。正面から当たることなく、受け流すことも出来る。
 感動することで幸せを感じて、泣くことで水に流すこともできる。

 感動して泣くことは素晴らしいことではないか!もう人前で泣くことは恥ずかしいことではない。「男が人前で泣くな!」と育ったかもしれないが、きっとあれは自分が人前で泣くようになってしまったその悔しさを子供にぶつけていたのだ。

 今まで泣きたいことばかりでも泣けなかった。ひとりで枕を濡らしたことも多かったことだろう。

 母が亡くなった時に、すぐには泣けなかった。泣かないことが強い男で、泣かないことでちょっとのことでは動じない男と思っていたのかもしれない。
 しかし、それを見ていた妻がこう言った。

「ちゃんと泣いておかないとダメだよ」

 その夜、布団に入り枕に顔を埋めて、母の好きだった越路吹雪の「愛の讃歌」を聴いて、泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いた。たくさんの思い出がとめどもなく溢れて溢れて溢れて溢れて。様々なシーンがよみがえり、たくさんの言葉、たくさんの笑顔、たくさんの仕草が目の前に浮かんだ。

 こう言うのをちゃんとやっておかないといけなかったのだ。

 男は強くてたくましく見せながら、内では弱くて、もろいものなのだ。

 一家の大黒柱という重圧。自分が倒れたら家族が路頭に迷う。すべて自分の肩にかかっている。 

 でも、自分はそんなに強くないのに。
 頑張るしかない。

 そうやって生きてきた。

 ヒトのオスとしてそれが本能的な生き方だと信じていた。

 なんで俺ばかりが、俺だけが。みんな楽しそうにやってるのに。

久しぶりに学生時代の仲間と会った。

 昔に戻ってのバカ話が終わり、最後の方になってじわじわと滲み出てきた話は、それこそ男の悲哀だった。

 みんな同じだった。

 いや、みんな自分よりもよほど辛いことを乗り越えてきていた。

 「お前も大変だな・・・」と酌をした。

 帰りの電車で考え、帰宅後に布団の中で泣くのだった。

 悔しくて泣き、うれしくて泣き、感動して泣き、共感して泣く。

 チョイ漏れオヤジは、そうやっていろんなところを緩めて、潤滑油を漏らし、垂れ流しながら格好悪くても生きていくのだ。そしていつか消え去るのだ。

 それでもオシャレに、せいぜい格好よく、粋がって生きていこうではないか!

そして今日も涙もろいオヤジは、ちょっとしたことで泣くのだ。

 毎週日曜の昼は、「のど自慢」をみて泣くのだ。

 「単身赴任中のお父さんに歌います!」「嫁に行った娘たちに向けて歌います、みんな元気でやってるかー!」「去年死んだ親父が好きだった歌を唄います」「入院中のお袋に元気になってもらうように歌います」

 そんな言葉に、チョイ漏れオヤジは大粒の涙を流すのです。

 今日もチョイ漏れオヤジは、格好よくオシャレに決めて、のど自慢みて大号泣す!

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