最初にみうらじゅん氏がこの言葉を生み出したのかもよく知らないが、この単語で検索するとみうらじゅん氏の名前が出てくる。
老いを日々実感することでのショックは、心もじわじわと傷つくところもあるが、その傷も徐々にかさぶたも出来てきて、でもまた新しい傷が出来てと言う繰り返しのような気がする。
あれこれ出来ていたことが出来なくなり、出来ると思ってやり始めたら大きく失敗したり、うまくいったつもりが後からみてみたら全然ダメだったり。
そのうち「まぁこんなもんだよな」って受け入れられるようになるのだろうけど、そう受け入れた途端にまた更に大きなダメージを被ることが起こることも世の常なのだろうと思う。
しかし、これは誰しも通る道であり、自分が何かを疎かにしたり、怠けたりしたからこうなったわけでもなく、「仕方ないんだよ」ってことなのだ。抗っても意味はないと言うこともないが、抗ったからと言って若い頃に戻るってこともないのだろう。
確実に「死」に向かって進行していることは間違いのないことであって、それは大前提でもある。
そんな中でも、少しでも今を心地よく生きるためにどうするかと言うことだ。考え方を切り替えることでそれが可能であればそうしたいと思うばかりだ。

何がつらいのか?何がイヤなのか? そのことを少しでも改善し、
何が楽しいのか?何に幸せを感じるのか? そのことをもっと増やしたい。
「イヤだけどやらなくてはならない」と言うのは本当なのか? よく考えたらそれはもうやらなくてもいいことかもしれないと考えてみたり、
楽しいと思うことばかりをやっていたら後からそのツケが回ってくるんじゃないか?と言うのも、ただの思い込みじゃないのか?って考えてみたり。
もうある程度やりたいことやってもいいんじゃないのかなって思ったりする。老後のために必死に2000万円を貯金しようとしても、2000万円貯まったところで、きっと安心なんて出来ないと思う。
それよりもその2000万円を貯めるためにやりたいことを我慢したことを後悔するかもしれないのだ。
キリギリスのように日々歌をうたい享楽にふけると言う言い方はどうかと思うが、楽しいことを見つけてそれに興ずることは前向きに進めたい。以前にも書いたが余計なことなど考えずに「何かに夢中になっていたい」「没頭していたい」に尽きる。
諸先輩方は、たくさんの苦難を乗り越えた上でのあの笑顔なんだと心から尊敬する。たくさんの別れ、たくさんの悲しみを抱え、体調不良が当たり前の中から発せられる笑顔は本当に素晴らしいと思う。
そして、「さよならだけが人生だ」という言葉が、今になってそういうことかとじわじわと心に沁み込んでくる。
しんちゃんパパが、
「最近、よく席を譲られるなんだよ!」と言います。
以前なら丁重に辞退していたようですが、座らせていただくそうです。
⇒譲った方も、その方がいいに決まってる。
しんちゃんママが40代の頃、忘れられない思い出が・・・。
たくさん買い物して、柏から電車に乗ったら、
茶髪・鼻ピアス・耳ピアスの超超目立つ男の子が席を譲ってくれました。
⇒座らなくても大丈夫だったのですが。。。
「助かります。ありがとう!」と言ったら、その若者が、
「おばさん、疲れているみたいだから!」と・・・。
「覇気のないおばさん!」に見えたのでしょうね(笑)。
この年になると、席を譲られることがありますが、
ありがたくすわらせていただきます。
しんちゃんママさん
まだ席を譲られたことはありませんが、もし「どうぞ」と譲ってもらったら「あ、ありがとうございます」とそのまま座ると思います。
でも「とうとう、その時が来たか」と思うかなぁ。
>茶髪・鼻ピアス・耳ピアスの超超目立つ男の子が席を譲ってくれました。
学生時代にバンドやっていましたが、楽屋でパンクバンドのメンバーと一緒になることが多かったのですが、衣装もメイクも近寄り難い感じでしたが、
みんないい奴ばかりでした。(^_^)