どこで知った文章だったろう? 今ではその出典を思い出せないが、なんとなく覚えている。
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
似たような文章だが、これはフランスの画家ポール・ゴーギャンが描いた絵のタイトル。
自分のルーツを調べたくなる時が必ずあるような気がする。「今を生きるだけだ、そんなことは関係ない」と思う時もあったし、「自分の祖先がいたから今の自分がいる」と思う時もある。NHKの「ファミリーヒストリー」も好んでみるし、自分の祖先にはどんな人がいたのだろう?と調べたくなるのも自然の流れなのかと思う。

タイトルの「自分がどこからきたのかが分からなければ、これからどこへいくのかも分からない」という言葉をふと思い出したのも、人生の中でどうしても行き詰まることは出てくる。そんな時にみんなどうやって乗り越えたのだろう?と考える。それが学業でのことであったり、失恋であったり、病気だったり、仕事や人間関係だったり。みんな多かれ少なかれたくさんのややこしいことに巻き込まれ、壁にぶち当たって心挫けるものだ。
そこで「自分がどこからきたのかが分からなければ、これからどこへいくのかも分からない」と言われるように、自分がどこからきたのかわかれば、これからどちらへ歩いて行けば良いのかがわかるような気がした。真っ暗闇の中での小さな希望の光になるかもしれない。
父方の直系の戸籍を追うことはある程度出来るが、母方の戸籍を追うのはそこそこ面倒なもので、今から思えば小さい頃に戻って母方の親戚が集まった時の母の従兄弟や叔父叔母や大叔父大叔母の皆さんにインタビューしたいくらいなのだが、それも今となっては難しい。自分が記憶している範囲の親戚というのはかなり限られたもので、せいぜい祖父母くらい。断片的に小さい頃の記憶として、曽祖母や叔父叔母の記憶がある程度だ。
墓を調べてもいいとこ江戸末期くらいであるし、その墓標も読みづらくなっている。
自分の祖先は何人いるだろう? 自分の両親で2人、そして両親それぞれに親がいて祖父母が4人。曽祖父母で8人。その両親で16人。そうやって6代前の江戸末期で64人のご先祖がいることになる。
江戸時代初期の13代前まで遡ると、一気に8,192人に増えて、今の大河ドラマの鎌倉時代まで遡ると、27代も前になってその数はなんと、134,217,728人。 1億3千4百21万7千7百28人ですよ。それだけの人たちが居て自分がいる。2021年の日本の人口が、1億2千6百万人。
これだけいると、「うちの先祖は〇〇だった」と一言でいうのは難しい。だって1億3千万人もいるのだから。

これが奈良時代まで遡るとどうだろう? およそ43代前になって8,796,093,022,208人。 もう数えるのも面倒になるくらい。えーと、8兆7960億人 ?? え?そんなに?っていうくらいの先祖の数。ちなみに2020年の世界の人口は77億人。どれだけ先祖がいるんだってことだ。直系の家系図だけ見るのと、両親のそのまた両親の、そしてそのまた両親と数えていくとそれだけの人数になる。
なんだか先祖のイメージが変わってきた。奈良時代の43代前でこの人数だから・・・。次に想像するのはやはり天皇家でしょう。今上天皇は第何代でしょう? 現在の徳仁天皇(令和)は、126代。さてさてどれだけのご先祖がいらっしゃることやら。
そう考えると、「自分はどこからきてどこに行くのか?」という言葉もまたイメージが変わってくるような気がする。奈良時代から数えて8兆7960億もの人のうち、ひとりでも居なかったら今の自分は今ここに居ないかもしれない。
もう、頭がこんがらがってよく分からなくなってきた。
3年前母親が逝ってたとき、戸籍謄本見て驚いたのは、母親の父親つまり我々の祖父は養子で、100歳で亡くなったよく知る曾祖母と自分は血縁ではなかったという事実。
数代前の父親方のご先祖『順庵』も、田部井家から田中家へ婿入りしたいわゆる『マス夫さん』今の苗字はその後に変えたもの、ちょっと前がそんなだから、その先なんてなんなんでしょうね♪
Akiさん
おっしゃる通りだと思います。「血筋を守る」というよりも「家(家系)を守る」という概念なのでしょうかね。「家業」「土地や財産」を次に繋いでいくことも、これだけサラリーマンが多くなると、何を繋いでいくのだろう?ってことにもなります。
『ファミリーヒストリー』は、自分とは何の縁もない人の歴史だけれど、見始めると興味が湧いてきます。繋がって、繋がって、今、自分がいるのだと認識し、偶然と必然の不思議な繋がりを『縁』と一言では言えない複雑さがあります。
ハッキリしていることは、「今、ココに自分がいる」ということだけ
生まれて来た確固たる意義はなく(知らず)とも、生きることを欲したときに、様々な意識が生まれて行くのだろうと思う。
ワタシ今朝、台所で一匹の小バエを一撃しました。
小バエの存在は、ワタシの生死を脅かすものではありませんが、無視できない自分は
過剰な危機意識を持っているのかもしれません。
カラスさん、いつもありがとうございます。
>ハッキリしていることは、「今、ココに自分がいる」ということだけ
深いですねー。「今、ココに自分がいる」ことは、偶然なのか必然なのか? 台所でたまたま目に入った1匹の小バエ、それに一撃を与えたことは、偶然なのか必然なのか?
縁というもので腑に落とすことは可能なのでしょうか?考え出したら眠れなくなりそうです。(^_^)
家系図が、あるわけでもないので私のルーツは庶民なんだろうと思ってます。
直系と思われる親戚の苗字がついた島が親戚の近くの瀬戸内海に存在するので、平氏に結びついていたのかも?などと思う事もありますが。
自分は自分でしかないと、思う私は祖父母以外は先祖を気にしたことはないかな。
一般人さん
自分が実際に会ったことある祖父母までがリアルに感じられる先祖ってことで、会ったことない先祖様はやはり「伝説の人」でしかないのかもしれません。
突然目の前に「あなたの子孫です。100年後の世界からタイムマシンでやってきました!」と知らない人に言われても、「あぁそうかい、それはそれはご苦労様です」としか言えません。そんなもんかもしれません。
おっしゃるように「自分は自分でしかない」です。
人類、いや少なくとも日本人は「みな兄弟(親戚)」つうことになるのかな。。昨日、ネットを弄っててKURIさん「中山道」に縁のある人なのかな~なんて思った。。自分ではどう思う?ファミリーヒストリーある?
あかいみさん
確かに言われてみれば、中山道から離れていないかも。特に大学時代と結婚して関西に来てからは、まともに中山道。遊びに行く場所も、帰省するときに通る道も、中山道だわ。
あかいみさんもそういうのある?それぞれの赴任先や現在お住まいの場所に何か因縁はないのかな?