ネットや週刊誌、各種マスコミで、
「生贄」は、ほぼ日常的に行われているものであると認識している。
「炎上」とか「叩き」「吊し上げ」など、
焼かれ、叩かれ、吊るされる。
それが肉体じゃなくて、社会的制裁で精神的に死に追いやられたりもする。逆にそのシステムを利用したビジネスもあったりして、その膨大なエネルギーを使って金儲けをしたり、知名度を上げたりもする。
「今日の祭りはどこだ?」と炎上しているサイトに入り、火に油を注ぐ。
そう言った社会的な「必要悪」と呼ばれるものを無くそうと、昔から対処が求められて来たと思うが、今まで形を変えながらも続いて来たということは、みんなそれを必要として無くなっては困ると思っているのだろう。
大きな社会では「生贄」「村八分」であり、小さな集団でも「いじめ」というものかもしれない。
出来る限り、みんな「今日の生贄」にならぬように気を付けて暮らしている。
特殊な空気を作り、それで縛る。罰則もない暗黙のルールで緩く縛り、標準偏差から外れるものを順次目についたものから拾い出し吊し上げる。
きっかけなどなんでもいいのだ。誰かひとりを吊るせばそれで全体が丸く収まる。それで大勢が日々笑顔で暮らせる。
おとなしくしているか、闇に潜むか、名をひた隠すか、強大な権力を持つか、その力を逆に利用するか。

兎角、生きることは難しいものである。