
吸い寄せられるように立ち寄るお地蔵さん。
このお地蔵さんはとても願い事を叶えてくれると言うことが口伝てに広がり、常に誰かしらお参りしている。いつも新しいお花がお供えしてあり、誰かしらが掃除をしていて、多くの人が手を合わせていき、通り過ぎる人も軽く会釈をしていく。そして、かなりの頻度でお百度詣りをされている人がいる。
周りを寄せ付けないほどの何とも言えない波動を発している。よほどのことがあったのだろう。
百日詣りでは間に合わないほどの焦りがあるのだろう。
床に臥して拝んでいた。
自分にも経験がある。お百度は踏んでいないが、毎晩毎晩仕事が終わった帰り道にお寺に寄って祈った。新生児の娘が入院中に死線を彷徨っていた時。何もやってあげられない自分は祈るしか出来なかった。祈っていないと自分を保てなかった。
きっとお百度を踏む人はそういう自分の力ではどうにもならないという人たちが集うのだと思う。
そんな時の心の拠り所として、一生のお願いをされているのだと思う。
実際目にしたらかなり引くんだろうなぁ・・・
Akiさん
その人の周りだけ異次元という感じ。きっとその人から私のことも見えていないと思います。そんな鬼気迫る感じでした。
>百度詣りをされている人がいる
⇒10数年前、上野の清水(きよみず)観音堂でしました。
しんちゃんの同期入社の人が仕事中に落下物で重傷をおいました。
しんちゃんママも名前を知っている方で、しんちゃんも大ショック。
40年間、上野に行くと必ず参拝する清水観音堂で、
百度詣りをしている人をよく見かけたので、
居ても立っても居られず、清水観音堂へ・・・。
堂内に、100本の短い縄をひとまとめにした束がいくつもあり、
それをお借りして、カウント。
観光客や外国の方がたくさんいましたが、
その間をかいくぐっての百度詣り。
不思議と皆さん、あけてくださいました。
しんちゃんママさん
そうでしたか、そのようなことが・・・。
>不思議と皆さん、あけてくださいました。
自然とそうなるようなオーラを出していらしたのでしょうね。
そういえば、京都の清水寺でのお百度がいわゆる「堂々巡り」の語源でした。一昼夜お堂を巡って願っても願いが叶わないじゃないか!という不満からの言葉だったような。