
子供が小さい頃は、こんな大皿に毎晩3皿分のおかずを作って
食卓にドンと置いて、さぁ食え!とばかりにダイナミックに並べた
その時には、お皿のフチについた小さな汚れなど気にもしなかった
いつしか大皿料理も作る機会は減ってきて
今では日々それぞれの一人分のお皿におかずを盛り付けることが多い

盛り付けにもちょっとだけ工夫したりすることもある
一人分のお皿のフチにちょっと垂れてしまったソース
これを小まめに拭き取るかどうか
外食じゃないんだからそこまでしなくていいとも思う
毎日顔を突き合わせている家族であればそれでいいが
たまたま来られた知人友人だったらどうだろう?
もう何年も前だが、実家に帰省した折に母がいつものように料理を出してくれた
その料理のお皿のフチにベタっとその料理のタレがついてしまっていた。
家庭料理ではよくあることであるし、自分もやってしまうこと。
でもそれを少し不快に感じてしまったのは、きっと自分がその家を出ているからなのかなって思う。その家で暮らしていた時はそんなことまったく気にしなかったと思う。

それから年月が過ぎていき
今度は自分が帰省を受け入れる側にまわった
料理を出す相手は、ついこの間まで(親としてはそういう感覚)一緒に暮らした子供たち。
その子供たちは「家族」ではあったが、正確には毎日「食」は別にしている人。
息子に至っては「別の家族」の人。
「家族」から、やや「お客さん」にシフトした子供に出す料理は、一緒に暮らしていた頃とはちょっと意識が変わった気がする。
少し外食っぽく作るようになった。
台所も以前よりもキレイにしておくようになった。
家の中も日々掃除をするようになった。
これは、チョコチョコと頻繁に子供たちがかわるがわる帰省してくれるからかもしれない。
頻繁にお客さんが来る家はキレイだというが、まぁそこまでではないにしろ、以前の汚部屋とは格段に違う。
お義母さんが生きていた時は、たまに我が家にきては「このうちはいっつも汚い家やなぁ〜」と笑い飛ばしていた。「小さい子供がいる時はそんなもんや」とちゃんとフォローもしてくれてはいた。
昼寝する時も、ものを退かさないと横になるスペースがなかったほどだ。
でも、今ではどこでもすぐにゴロンとできるほどのスペースはあるし、埃も積もっていない。
変われば変わるものだ。
お皿のフチがキレイになるにつれて、家の中も整理されキレイになっていく。
要らないものに溢れていた家が、少しずつ必要なものだけでスッキリしていく。
少しずつ「増やす」から「減らす」へシフトしてくる。
少しずつ背負っているものを減らしたくなってくる。
少しずつ持っていけるものと持っていけないものがわかってくる。
もう手放せるものと、まだ手放せないものが分けられるようになってくる。
大皿にたくさん盛り付けられた料理の生活から
必要な分だけのった料理の皿へ移り変わり
その皿についた小さな汚れが、部屋の中の小さな紙屑のように思えてきた
そっとその紙屑を拾って、屑籠に入れた