カリフォルニア大学サンフランシスコ校神経生理学教室のベンジャミン・リベット教授の衝撃的な実験結果。
リベット教授は、被験者の脳に電極を指して、「指を曲げよう」と意識した瞬間と、「指よ曲がれ」という筋肉への指令が脳の運動野で出た瞬間を計測しました。結果は興味深いものでした。自分が「指を曲げよう」と意識するよりも、平均で0.35秒前に、筋肉への指令、つまり脳の活動が始まっていたというのです。
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自分が一歩踏み出そうとする前に、足はすでに脳によって動くことを決めていた。
自分が決断する前に、もう運命は決まっていたと言うことなのか?
と言うと大袈裟かもしれないが、やはり以前に書いた「やっぱり動かされているのかな?」で書いたように、
自分の意思とは別のものによって動かされている部分が、思った以上に多いと言うことかもしれない。
ただ、自分はその動きを止めることができる。
「つい手が出てしまいそうになった」
それでも、それを「ダメダメ!」と止めることが出来る。
体が勝手に動いてしまうことを、どうにかその衝動を止めることができる。
ただそれは全ての衝動を止められるかと言うと、そうでもないから難しい。
「ついまた食べてしまった」
これくらいならまだいいのだが、
それが犯罪に結びつくことであると、かなり面倒なのことになる。

いつもなら抑制できることなのに、
酒を飲むと抑えられないと言うこともある。
なぜ酒を飲むと抑制が効かなくなるのだろう?
年齢的にも、以前よりも抑えられないこともある。
重ねてきた経験によるものなのか?
脳の劣化によるものなのか?
となると、犯罪と言うものは、
勝手に動き出す衝動を抑えきれなかったことが罪に値するのかもしれない。
その衝動を故意に抑えなかったのか、抑えようとしたが抑えきれなかったのか、そもそも抑える必要を感じなかったのか。
人を好きになってしまう衝動も、抑制し難い部類のものである。
恋は天から降ってくるもの、突然に湧いて出てくるものとも言われているが、
脳が勝手に妄想で作り上げたものに、勝手に惚れてしまったものを、
自分がその衝動を抑制しなくてはいけないと言うなんとも面倒なことではないか!
であるから、その衝動に戸惑うことがほとんどだ。
この衝動は、脳が「この異性と結ばれよ」と言っているのか、共生している微生物や細胞たちの声を脳が代弁しているのか、
それとも神様のお告げを脳が預言者として発しているメッセージなのか。
それは誰にもわからない。
とにかくその沸き起こる衝動を、その状況に応じて抑制するか、それとも推進させるかが「自分」の仕事なのかもしれない。
さて、どうして脳は「自分」と言う意識を作り上げたのか?
あらためて「自分」ってなんだ?って考えてしまう。