
お彼岸用にと用意した菊の花。
余った小菊を三女が小さなブーケにしてくれた。(写真:手前)
先にあっちに行った方々のために、まだこちらにいる我々のために、お花というものの役割は大きい。
向こうとこっちをつなげてくれるものとして、
その心に色彩と香りと決まった所作を添えてくれる。
秋にしか咲かないはずの菊の花が一年中買えるようになったことで、花持ちの良いこともあって仏花として重宝されるようになったのはそれほど昔のことではない。
菊の花で思い出すのは、次女がまだ小学校低学年の頃。母の日のプレゼントでなけなしの100円のお小遣いを握り締めて百円ショップへ行ってお花を買ってきた。
「お母さん、はい! 母の日おめでとう!」と差し出してくれたのは、百均で売っていたいかにもという造花の菊の花だった。
「あ、あぁ、ありがとうね」と苦笑いで受け取ったその大きな一輪の黄色い菊の花を、妻は今でも大切に残してある。
義父母が亡くなってから、菊を欠かしたことがありませんが、いまだにわからないのが〝小菊〟と〝スプレー菊〟の区別。「この小菊ください!」と言うと、花屋さんの奥さんに「スプレー菊ですね!」と訂正されます。
菊=仏花のイメージがありますが、品評会のりっぱな菊は観賞用だし・・・。
⇒義父が趣味で、毎年、品評会用菊10数鉢を栽培をしていて、
決して、仏花だとは思いませんでした。
徳島生まれの義母は仏花=しきび(しきみ)だったので、菊=仏花という考えはなかったみたい。義父の転勤先の花屋さんにしきびがなかったらしく、「なぜ、関東にはないの?」と聞かれたことがあります。
⇒いつもの花屋さんにしきびがある時は1枝買います。
義母はしきびを〝ハナ〟と、菊などは〝色バナ〟と呼んでいました。
四国をお遍路さんしていると、宗派に関係なく、墓地に供えてあるのはほぼしきび、札所の本堂に供えてあるのもしきびが多かった。叔父の葬儀の花輪もしきびのみで、びっくりした記憶あり。菊=仏花になったのはなぜでしょうね???
しんちゃんママさん
比叡山を歩いていると、二人組のお若いお坊さんが手に大きな木の枝を持って藪の中から出て来られました。今から思えばあれはシキミを伐採しておられたのかなって思いました。(^_^)