体育の授業の持久走が大嫌いだった。
走り出してすぐ、3分ほどで横っ腹が痛くなって、息が苦しくなって走れなくなる。ツライ、苦しい、吐きそう、ビリで恥ずかしいし、うしろから先生がついてきて「頑張れ!歩くな〜!」ってうるさい。
そんな日は前日から憂鬱で学校に行くのも嫌だった。
運動が嫌いかというとそんなこともなくて、球技は好きだったし、100m走くらいの短距離は嫌いじゃなかったし、ほぼクラス男子平均くらいのタイムだったと思う。
なぜ持久走だけがそれほど苦しかったのかというと、今から思えば心拍数かと思う。
私はノミの心臓だけあって、いつも心拍数が高い。元々高いところに運動するとすぐに許容範囲を超えてしまうのだ。
しかし、この一線を超えなくれば大丈夫というラインがある。それさえ超えなければ苦しくならないどころか、「快感」であることを知った。
これは自分でジョギングを始めてからだった。あれだけ嫌いだった持久走を自らやるとは夢にも思わなかったが、「スロージョギング」というのを知ってはじめてみたら、不思議なことにどこまででも走れたのだ。「どこまででも」というのは大変大げさだが、1ヶ月ほど週3〜4日ほどゆっくり走っていれば徐々に走れる距離が伸びてきて、このスピードならずっと走っていられるという状態になるかと思う。

山を歩いていてもそうだった。最初に登った時は、持久走のように呼吸が苦しかったし、足も痛くなるし、散々だった。でも、マルさんに歩くペースを教えてもらったら楽しく歩けるようになった。
近頃いつも身につけているApple Watchには、心拍数を測る機能がついていて、一日中監視してくれている。山を歩いている時にも「ちょっとしんどいな」と思うと心拍数が上がり過ぎている。そんな時はちょっと休憩を入れるか、ペースを落として心拍数が下がるまで監視する。

最近、テレビで見たのだが、体育の授業でそう言ったことが取り入れられはじめているそうで、心拍数を常時監視して、持久走をやる時でもタイムを競うというよりも楽しく走ることが出来るように、「心拍数上がり過ぎているから少しペース落として!」って声を掛けてくれていた。
運動は楽しい。小学生の頃に自転車で公園に行って、友だち同士で遊んで走り回っていただけで本当に楽しかった。競技ではない、体を動かす気持ち良さを味わうこと、それが大切だと実感する。
ぎっくり腰をやってしまって、思い通りに体が動かせなくなった時は、それが治ってどこも痛いところがない状態で山を登れた快感は本当に素晴らしいと思った。
人にはそれぞれのペースがあって、それに合わせた心地よい運動を知ることで、もっともっと体を動かすことの楽しさを知って欲しいと思うばかり。
きっと運動だけじゃなくて、脳の使い方もそういうのがあるのだと思う。勉強は嫌いだけど、こういうのは好きっていうのがあるはず。
みんな気持ち良いことは続けられる。
我々の幼少時の体育もそうだけど、戦前のそれと同じくいい兵士を生み出すのが目的で、ついてこれない生徒はどうでもよかったのでしょうね、でもだんだんとついていけない生徒が多くなり、平和な時代が来たという事でしょうか
最近は道徳の授業にも成績付けるとか何考えてるのやら、体育は優秀なのだけ点数付けてあげ、その他大勢は成績要らないと思うけどどうなんでしょ
Akiさん
>戦前のそれと同じくいい兵士を生み出すのが目的で
今から思い返してみればそうだったんだなぁって思うばかりです。指導してくれる先生方も、そうやって教育を受けてきたのだから育児と同じで、やってもらったようにしかできないってことなのかもしれません。逆に、今の先生の方が大変そうでお気の毒です。
大変でしたね。
私は週に2回位は山に遊びに行ってので、山登りには今更行く気にはならなくて。
持久走、久々に聞きました。
夏休みにラジオ体操があるように、冬休みは朝、学校を往復走りするのが、宿題みたいな。
関東育ちだと思う理由は、未だに山登りをされているからかも。
高尾山位しか登る山はないので。
小学校で山登りは飽きます。
一般人さん
わたしは40代後半に山歩きを始めたのが良かったのかもしれません。山歩きを教えてくれたAkiさんやこちらの山友達のマルさんには感謝しかありません。(^_^)