
映画鑑賞は好きだ。
学生時代は本ばかり読んで、映画を軽んじていたところもあったが、今は細かい文字も読みにくくなり映画の方がありがたいとさえ思う。
もちろん「本」の世界と「映画」の世界は別物であり、どちらが優れているというものでもない。
本を読んでくれるサービスもあるが、おそらく途中で寝てしまうだろうと思ってそのサービスは利用していない。読んでくれる声にもよるが。
近頃はAmazonプライムでお手軽にいろいろな映画を観させてもらっている。月々500円でこんな観せてもらって申し訳ない気持ちだ。
何年も前には、映画を観るごとに感想を書いていた。こことは別のブログだ。どのくらいの本数を観て感想を書いたのだろうと数字を見たら、
336本
正確に何本観たのかは定かではないが、「映画」のカテゴリーに336の数字があった。
その中からいくつか拾って読んでみると、驚いたことにほぼ覚えていない。
本当にこれ観たのか?と思うのもある。ちゃんと観て感想まで書いてあるのだから間違いなく観たのであろう。
ひどいことに、一度観ているのに知らずに2回目を観て、観終わっても1度観たことを覚えていないこともある。途中で気が付けよ!って自分に言いたいくらいだ。
一つの映画を何度でも楽しめるといえば聞こえはいいが、深いところまで理解出来るようになっているわけでなく、同じ場面、同じ経緯で感動して泣いているのが情けない。
「お父さん、前もこの映画観てなかった?」と言われて、
「え?観てた?」
「自分で観てたんだから覚えてるでしょ?」と言われても、
「あ〜、そうだよなぁ」
まずいぞ、このままボケてしまいそうだ。
音楽に関してはよく覚えているのになぁ。
いや、それもどうかわからないぞ。覚えているつもりだけかも。
本もそうだ。
気に入った本はメモを取りながら読んでいる。
本のタイトルごとに、箇条書きで気に入った文を書き出している。
そのメモをあとになって見直しても、覚えていないことが多い。
そのメモがとっても新鮮に感じる。
もちろん覚えているのも少しはあるが、
ほぼほぼ「へえ〜そうなのか!」と
最初に読んだときの感動を再び! なのだ。

夫婦で以前に観た映画をお互い気づかずに観ていて、
どちらが先に
「これ、前に観たんじゃない?」と気づくかだ。
「いや、観てないよ」
「そう?」
また1時間くらいして、いよいよクライマックスになってから
「あ!やっぱり観たよね、コレ!」
「でしょ!」
なんてことも多いのだ。
NHKは元々再放送が多いが、それに気づかずに観ていることが多い。
毎週欠かさず観ている番組でも、
つい1ヶ月前の再放送でも、気づかずに最後まで観ちゃったり。
いいのかなぁ?
いつでも新鮮な気持ちで何度も楽しめていいのだけど。
途中で、「あ、これ観たみた!」と気づくのもある。
でも最後どうなってしまうのかが思い出せない。
これもうれしいような悲しいような。
思っていたのと違う終わり方になったのは少ないかも。
「この二人は最後もう1回出会うんだよね?」
「いや、このままもう2度と会えないんだよ。」
とか、
「あ、この人が犯人だったんだよね?」
「違う違う、結局このいかにも怪しいのがそのまま犯人だったのよ」
「そうだったっけ? そうだったかなぁ。」
で、最後になって。
「ほらー!やっぱりこの人が犯人だったジャン!俺の言ったのが正しかったジャン!」と勝ち誇って大はしゃぎしてしまうとあとで面倒なことになるので、
机の下で小さくガッツポーズして表情も変えずにズズズとお茶をすするのだ。

というより、いかに記憶力が衰えてきたかと嘆くより
その時しっかりと映像を観ていたつもりであっても
よほど心を動かすものでなければ人間の脳は記憶しておかないということなんだと思う。
自分の生命を脅かすような危険な出来事は忘れない
どうでもいいことにはメモリーを使わない
テレビや映画はその時楽しめればいいものであって
ずっと記憶しておくべきものではないということなのかな
そう思えば、今までこれだけテレビを観ていても、覚えているものってどれだけあるか?
テレビは暇つぶし
ただただ暇つぶし
そんなつもりで観た方がいいのかもね
そう思えば、この記憶力低下も受け入れられる。
この人もこのようにおっしゃっているし。↓