「寝返りしました」
「ハイハイができるようになりました」
「今日は積み木を積むことができるようになりました。」
毎日のように出来ることが増えていく時は素晴らしいことだ。
子供が生まれてから、ずっとずっとそう言う日々の中で過ごしてきた。
そんなことが当たり前だった。
自分が突然「ぎっくり腰」になった時は、いきなり、
「寝返りが出来なくなりました」
「ひとりでトイレにも行けなくなりました」
となってしまい、
そこから
「やっと寝返りが打てるようになりました」
「やっとハイハイでひとりでトイレに行けるようになりました」
「杖なしで歩けるようになりました」と、
ひとつひとつ出来ることが増えていった。
これはこれで一つの喜びでもあった。
ひとりで歩けることは素晴らしいこと、
自分の足でどこも痛くなく歩ける事は素晴らしいことと思えるようになった。
そこからせっせと歩くようになったと思う。

さて次は、老化現象によって細かいものが見えなくなり、
記憶力が乏しくなり、
長く続ける根気も減り、
新しいことを始める気力も減退してきた。
ここから自分はどのように生きたらいいのだろうか?
あれが悪いから、これが悪いからとあちこちを批判ばかりしていても仕方ない。
なるようになるしかないのだから、
流れに身を任せて、
慌てることなく、
全てを受け入れるのがよろしいのだろう。
いつでもどんな時でも、
問題なのは自分の気持ちの持ちよう。
どのようにそれを受け止めて、
受け流して、
腑に落としていくかってことなんだろうな。
頭で考え過ぎず、
慌てて動き回らず、
焦って飛び跳ねず、
ただただぷかぷかと浮いているがごとし。
そんな人になりたい。
今年の2月だか雪の浅間隠山で会った80歳は過ぎていると思われる女性が、グレートトラバースの南アルプス界隈の再放送(2・3年前の本放送)に出てました、83歳で日本3百名山完登まで残り3座で。
自分達が会った時はもちろん終えてたんでしょうね、
『いつまで登れるのかな?』って仲間内でタマに話に出るけど、まあ気の持ちようってのが答かな・・・
Akiさん
80歳過ぎても山を歩けるのは幸せですよねー。私も「歩けるうちの歩いておく」って思っています。「歩き過ぎは良くない」なんて言われても、歩きたいだけ歩いています。