地平線が見えるところで育った。
遠くに山々があり、そこへ夕日が沈んでいく。その山々のシルエットは今でも目に焼き付いていて思い出すたびに懐かしく思う。赤く染まった空を背景にして描かれる、スカイラインという山々や鉄塔の輪郭をなんとなく覚えているのだと思う。
現在住んでいる場所は、山が近い。

今の場所の風景には慣れたのだが、まだ生まれ育った場所の地平線に沈む夕日が懐かしくて仕方ない。
私が琵琶湖の湖岸によく行くのも、きっと山との距離感が故郷に似ているためかもしれない。そして、大きく広がる空もそうだ。


でもきっと、このスカイラインもこの場所を離れたら懐かしくなってくるのだと思う。
数日間故郷に帰省して、懐かしい風景をみて「やっぱり故郷の景色は癒されるなぁ」って思って帰ってくるのだが、
今の場所に帰って来て、比叡山と比良山系のシルエット、そして琵琶湖をみるとほっとする自分もいる。
新幹線で帰って来たときは、車内アナウンスで「まもなく京都駅到着します」というアナウンスと共に、ホームに降り立って京都タワーが見えたらちょっとほっとする。
車に乗って高速道路で帰ってくると、まずは彦根あたりで琵琶湖がチラッと見えるとほっとする。
以前は高速道路の料金所で通行料金を支払うときに、
「おおきに!」と言われて、最初はかなり違和感があったが、今ではほぼETCなのでそれも聞かなくなった。

「懐かしい」と「ほっとする」と、風景に対しての気持ちが故郷と住み慣れたところと微妙な違いがある。
「住めばみやこ」。住み慣れると、今のところが住みやすいと思えるようになった。
そして、生まれ育った故郷のことは、記憶の中に焼きついた風景と、思い出の中の断片的な出来事が残っているくらいで、きっとそれらは現実のものとは違う想像上のものである可能性が高いのだ。
「私の故郷はこんなところでした」という概念は、私のあやふやな記憶の中にしか存在しない想像上の理想郷なのだろうと思う。
高校卒業後東京に暮らし、最初にGWで帰省した時に、自分が空と地面の間で挟みつぶされ小さくなっていくような不思議な感覚にしばらく囚われたことを思い出した。地平線が見えないと自分がちっぽけな存在であることを忘れるんだ、とその時感じた。日本一の平野の北西の端からひらけた南東を見て18年間育ってきたんだなって、。その後日本中を転々として、基本この国は山もしくはビルばかりだってやっと理解したよ(笑)。
あかいみさん
>地平線が見えないと自分がちっぽけな存在であることを忘れるんだ、とその時感じた
星を見たりしたのも、そいうことかもしれないなって思いました。今も、山を歩いたり、大文字山から京都の街を見下ろしたり、琵琶湖を広さを感じたりするのも同じかもしれないなぁ。
少なからず年齢とともに様々な環境の変化について行くのが大変になってきたような気がします。若い頃のように環境の変化にワクワクしていたのが、今は変化を拒むこともある。
今、父が住んでいる所は実家といっても、生まれ故郷ではなくて、生まれたのは都内のはずれです。そこに20歳過ぎまでいて、数年でまた、都内に戻り、関西に8年で、今の千葉にはもう、今年で25年になろうとしています。
夜には星がたくさん見えるし、樹木があり、鳥の声が当たり前に聞こえます。最初来た時は近所で飼っているにわとりの鳴き声で目が覚めてへいこうしましたが。今や一番長く住んでいる所になります。
アプリさん
アプリさんが関東にいる時に私が関西に居て、アプリさんが関東にいる時に私が関西に居るようです。(^_^)
私も今や、ここが人生で一番長く住んでいる所になります。
>「住めばみやこ」
⇒そうですね。
社宅時代から数えると、松戸在住34年。
生活するには文句なし。
でも商業圏は小学4年生から15年間住んでいた柏。
月に4~5回、柏に行きますが、
柏駅ホームに降りた瞬間、パワーチャージ。
「住んだことがないけれどみやこ」は徳島です。
10回以上行ったけど、毎回ワクワクします。
しんちゃんママさん
>「住んだことがないけれどみやこ」は徳島です。
面白いですね。私も「住んだことがないけれどみやこ」は京都です。
夕焼けがあればいいんじゃないでしょうか、松本盆地は夕焼けがなかったなぁ
Akiさん
「松本の夕焼け」で、自分の記憶の中を検索しても映像が出てこないのは確かにそう。