「ここでこんな格好していると誰だかわからないねー」
そんなことがよくある。
この前もスーパーで買い物をしている時に、
「こんにちは!」と30代の女性から挨拶をしてもらった。
すぐには誰だかわからず、
「あ、どうも、こんにちは〜」と、なんだか気の抜けた返事をしてしまった。
今の誰だっただろう?間違いなく以前に会ったことある人だ。
それは確実なのだが、どこで会ったのかわからない。
仕事関係の人なのか? それとも子供たちの学校や習い事がらみ?
自治会がらみ? わざわざ声をかけてくれるくらいだからなぁ・・・。
と思いながら、あちこちのシーンを思い返しては、一人ずつ消去法で探して行く。

そして一人の女性を思い出した。
いつも行く肉屋さんの女性スタッフさんだった。
普段は、上下白衣で素敵な笑顔で対応してくださる。
しかし、スーパーでお会いした時は私服だった。
そのお肉屋さんでお会いしたら絶対にわかるのに、
場所と格好が違っていただけでわからなくなってしまう。
これは、私の認識が、
・「肉屋さん」
・「素敵な笑顔の女性スタッフさん」
・「30代」
・「上下白い服」
・「身長は158cmくらいで色白」
と言うタグをつけていたからもしれない。
そのタグのうちの、「30代」「身長158cmくらいで色白」だけのタグだと、こうもわからないものかと感じてしまった。
つい先ほども、職場に中年男性が来られた。
「こんにちは! 今、いいですか?」
初対面ではなさそうな雰囲気だけど、すぐにはわからない。
マスクをしているから尚更わからない。
手に持っているものでわかった。
新聞を保存する紙袋と、市指定の新品のゴミ袋と領収書。
「アァー! なんだKさんじゃない! こんなところでお出会いするとわからないもんですねー。」
「いつもはご自宅に伺うのに、お留守だったからこっちかなと思って。よろしい?」
自宅に来てくれたら、それこそシルエットでも声でもわかるのに、
出会う場所が違うだけでもうわからない。

いつもの曲がり角の目印が無くなっただけでも、
曲がる場所を間違ってしまったりする。
「何番目の角を曲がる」ではなくて、「この赤い看板がある角で曲がる」と覚えていると、
その赤い看板が無くなってしまうともう曲がる場所がわからなくなる。
「そんなもん、3番目の角を曲がるって覚えておけば済むことやんか!アホやなぁ。」と言われても、
記憶の仕方というのは、人それぞれで早々変えられるものでもない。
きっと、「記憶のクセ」と言うのが人それぞれ違うのだろうなと思う。
物事にどのようなタグをつけて記憶するのか。
その場面で一番都合がいい覚え方だったり、
一番印象深かったことで覚えてしまったり。
成功や失敗の経験からそれを変更したり。
自分はみんなにどんなタグをつけて記録されているのだろう?
気になるけど、知らない方がいいだろう。
知ってしまったら、
意識してそのように演じてしまいそうだから。
