電車に乗って車内を見渡す。
マスクをしていない人はいないかどうか、自然とそんなところをチェックしている自分がいやだ。
ほぼみんなマスク着用しているのに、一人だけ着用していない人を見つけると自然と0.数秒間視線が止まってしまう自分がいやだ。
あの感覚はなんなのだろう?
衛生的にどうだとかそういう問題ではなく、
小学生の頃に、みんな整列しているのに一人だけ列から外れて好きなことやっている児童を見るような目。
「先生に叱られればいいのに」って思っている。
でも先生は見て見ぬ振りしてその児童は一向に列に並ぼうとしない。
自分だって我慢して列に仕方なく並んでいるのに、なんでアイツは好きにしているのだろう? そんなことを考えている自分がいやだ。

芸能人が不倫をして週刊誌やテレビやネット袋叩きに合っている。
自分には関係ないはずなのに、どうしてみんなあれほど怒っているのだろう?
「自分だって出来ることなら不倫や浮気をしたいのに。あんな可愛い子といい事しやがって!」という気持ち。
正義や道徳やモラルなんてことじゃなくて、
ただの「やっかみ」。
「それならお前だってやったらいいじゃないか!」
そこで意地を張ってマスクをしなかったり、不倫をしたりする方が面倒なことになるから、やめておくわ。
だったら文句を言わなくても。
マスクをしなくても、大声で叫んだり咳をしたり飛沫を飛ばしている訳でもなく、大人しく口を閉じて会話もしていないのなら誰にも迷惑はかからない。マスクをしていても大声で喋っている方がよほど飛沫が飛ぶ。
浮気や不倫をしてもそれはそれぞれの家庭の問題で、世間がどうこういう問題ではない。社会的に影響のある人物だからというなら、報道しなければいいじゃないか。
マスクをする理由の多くは「みんながしているから」。
「ゲーム買ってよ! みんな持っているんだよ。」
「よそはよそ。うちは買いません。」
でも社会に出ると、
「みなさんそうされていますよ」「みなさんこれを選びますよ」「みなさんそれを買われますよ」
と言われたら、「それじゃぁ」ってそれに従ってしまう。
それが無難だから、そうしたくなくてもそうしてきた。
一度や二度は、そこから脱して「俺は俺の生き方でいく!」とやったこともあるだろう。しかし、多くの人は出る杭は打たれ、大人しくしている方が安心・安全で暮らせることを学んでしまう。
そして最後死ぬ間際になって、もっと自由に他人のことを気にせず生きたいように生きれば良かったと思うのだろう。
これからの残りの人生、自分の生きたいように生きることは出来るのだろうか?いろいろと言い訳つけて、出来ない理由を並べられるだけ並べて、動かずに人生終わるのだろうか?
自分は一体何をやりたいのだろうか?
なにか生活にストレスがかかると、それから目を逸らしたくなって他の事(大型自動二輪免許取得とか)をやったりするけど、実際のところそんな外因がなければ何もやりたくないんじゃないかな…
山歩きにしても少しくらい運動しとかないと、後々足腰弱くなって困るのもなんだからしかたなくやっているに過ぎないような気がします。
本当にやりたいこと?無理に考えても答えは出ないでしょう、そのうちふと湧いて出てくることもあるかと・・・
Akiさん
山歩きはいい趣味を教えてもらったなぁって思います。特にこちらでは自宅から歩いていけるところも多いし、登山口や下山したところに鉄道駅があるので楽しめます。
何かにつまづくと山に入ってリフレッシュできるって、優秀なかかりつけ医を持っているような感覚です。(^_^)
近頃吉田類をMCにしてNHKで『日本百低山』ってのが始まりました、昼休み再放送で房総の鋸山をやってました、ゲストは南果歩(ちょっとビックリかな)。
なんで吉田さんは山に登るのですか?って質問に、『山に登っていると日頃失敗失敗してもめげなくなる』と回答。なんとなくわかる感じはするかなぁ、冬以外はいつも周りの足を引っ張ってるけど、だんだんそれに慣れている自分がいます、精神的にしぶとくはなるよね、といって頑張ってるわけでもないけど・・・
BS入れば今現在放送中です
『日本百低山』ですか、タイトルからして面白いですね。
どうして山に登るか? 私は、歩いている時、山を登っている時の自分の思考が好きだからです。街にいるといらんことばかり考えて不安になってばかりだけど、自然の中を歩いている時はプラス思考でとてもクリエイティブになります。
あんなことしてみたい、こんなことやりたい、いろいろなアイデアが次から次へと出てきて楽しい。健康のため、足腰のため、痩せたいためという感覚はあまりないです。