信号のない横断歩道を軽く手を上げて渡る。
そこへクラクションを鳴らしながら、車が目の前を走り抜ける。
「わぁ、びっくりしたぁ〜。クラクション鳴らすことないのにぃ。」
ということがあったと家族に話すと、
「そんな車には背後から『殺す気かー!」って怒鳴りつけてやればいいんだよ」
「そういうもんか?」
「そうだよ!」と私よりも怒ってる。
またある時は、
渋滞中、路側帯を無理やり走ってきた車が私の車の前に割り込んできた。
隣に乗っていた妻は怒り心頭で、助手席から私の握るハンドルへ手を伸ばしてクラクションを鳴らそうとする。
「いいからいいから」とその手を押さえた。
「ああいうヤツには一言文句言ってやんなくちゃ!」
「そういうもんか?」
「そうだよ!」と私よりも怒ってる。
「言ったって反省なんかしないよ、きっと」
「そういう問題じゃないって! 腹立たないの?」
「立つけど、怒ったって仕方ないじゃん」

これは、私が何事にも感情的にならずに怒りを露骨に表面に出さない人というわけではない。
別の場面では、
「何をそんなに怒っているの?」と言われることがある。
「どうしてあんなことされて冷静で居られるんだ!」と怒り狂う時もある。
そして、「そんなの怒ったって仕方ないじゃん」って言われる。
人それぞれ怒りを誘発するポイントが違うのだな。
多くの場合、夫婦でそのポイントは違うことが多い気がする。
だから、どちらかがブチ切れた時にもう片方が諫めることもできる。
「本来こうあるべき」と言う前提。
それがそれぞれ違うから、「理不尽」、「ちょっとイラつく」、「なんとか妥当の範囲」、「許容範囲」、「普通」、とかに分かれる。
各自の「本来こうあるべき」とか「普通こうだろ」という価値観が一緒だったら、
怒りというものは今よりも少なくなるのだろうか?