「方丈記」を読んで感動して、

下鴨神社の河合神社へ赴いて方丈の庵の復元したものを見に行き、

さらに方丈記に関する書籍を読んで気分を盛り上げて、

今度は、実際に方丈の庵があった場所に行ってみたくなって、そこまで歩いて行ってきた。

その場所から、長明さんもこの辺りを散策しただろうと思われる近隣の山を歩いたり、近くの村里あたりも歩いてみたりして、長明さんを感じたいと思っていた。

それでも立て続けに方丈石周辺を歩いているとさすがに慣れてくるもので、
最初に方丈石を訪れた時に感じたなんとも言えぬ感動は今はもうそれほどなくて、4回目に方丈石に立ち寄った時には「長明さんちに到着!」ってノリで、あともう少し歩けば街に出るなって感じの、ただの通過点になってしまった。
これは京都を歩いていても同じで、「ここが池田屋事件の現場か!」とか、多くの処刑が執り行われたり晒し首があった鴨川の三条河原でも、今では平気で河原に腰掛けてお弁当広げて食べている。
琵琶湖も、それを初めて見た時はその大きさに驚き、その美しさに圧倒されたが、見慣れてしまうと当たり前になってしまう。海無し県で生まれ育った私は、水平線を見るとやたらとテンションが上がるし、たまに新幹線から富士山を見れば「あ、富士山!」と声を出してしまう。
でも、毎日見ていたらいちいちテンション上げてられないだろう。毎日見ている琵琶湖と比叡山と一緒であり、国宝の三井寺や石山寺や延暦寺も、これだけ頻繁に参拝していると鎮守の神様と同じなのだ。

そうやっていちいち感動しないようにさせているのは自分の脳なのだろう。「ずっとそばにいたい」と思っていた人も、ずっとそばにいるようになると、ずっとそばにいたいと思っていた頃の笑顔じゃなくなったり、同じタイミングで笑わなくなっていたり、慰めてくれてたタイミングで逆に機嫌悪くなったり。
あの頃と今では同じ二人だけど、あの頃の二人じゃない。あの頃と同じ場所だけど、あの頃の場所じゃない。でもそこにはあの頃の欠片が残っている。あの頃の残り香がきっとある。
そんな欠片を探しに行くのかな?そして、そこに落ちていた石っころでも、そこで吸った空気も、自分で作り上げた歴史の妄想の欠片として勝手に解釈して気持ちよくなっているだけなのかもしれない。でも、それでいいのかもしれない。「そんなの違うよ!」と言うのは粋じゃない。

こんな夢の船に乗って、いろんな過去を巡ってみたい。
昨日は、NASAの新しい宇宙望遠鏡で130億光年先の宇宙の写真をみた。あの光は130億年前の光が今こちらに届いたということで、130億年前の過去の映像を見ているということ。
もしも、その写真を分析したら「天の川銀河が写っていた」なんてことがあったら面白いなって思うけど、そんな話がどこかにあったな。
ps.今朝2022年7月13日からセミが鳴き出した。一昨日くらいから仕事帰りにセミの抜け殻を見かけるようになったが、今朝朝食の時にセミが勢いよく鳴いているのに気がついた。
>鎮守の神様と同じなのだ。
⇒うらやましい限りです。
コロナで、副住職との三井寺参拝も延期延期延期。
しんちゃんママさん
そろそろ大丈夫かな?って頃に次の波が来ちゃうので計画が難しいですよね。三井寺は何度も訪れていますが、季節ごとにお庭が楽しめますし、歴史的なことを予習していくと更に感動を味わえます。
お時間があれば一度境内を出て北に歩いて、大津市歴史博物館、円満院、弘文天皇陵、新羅善神堂、アーネスト・フェノロサの墓および法明院、新羅三郎義光の墓など見どころ満載です。
慣れてしまえば、わかります。
結婚前に神戸に住んでいて、それは仕事で前任者が退職するから、そのあとを誰か行かないかとの誘いにのって、数ヶ月の予定でしたが、山無しの都内に住んでいて、山(六甲山)が住まいから見える場所に移り、もう最初はウキウキでしたが、そのうちそれが当たり前になって、結局、憧れの地だったので数ヶ月の予定が8年。今はまた山無しというか見えない千葉です。そんなで京都に行くと山が見えていいなあと思います。当時、琵琶湖、寒い冬に湖西線に少しだけ乗りました。また、いつか、乗りたいです。
アプリさん
数ヶ月の予定が8年とは、人生とはわからないものですね。神戸は街はおしゃれで賑やかだし、新神戸駅降りたらすぐ裏側から登山スタートできるほど山が近いですもんね。
冬の湖西線に乗られたとはびっくりです。冬は自動で扉は開かず自分で開けるのですよね。最初は驚きました。