妻 「あ、職場にスマホを忘れてきちゃったかも!
私 「最後に見たのはどこ? 家のどこかにあるんじゃない? 電話かけて鳴らしてみようか
妻 「絶対にそれはない!! 間違いなく職場に忘れてきた!」
私 「試しに鳴らしてみるよ」
妻 「絶対に職場だから鳴るわけないってば!」
「ブーン ブーン ブーン」
私 「鳴ってるね」
妻 「キャハハハ! お尻が震えてる! お尻のポケットに入ってた!」

よくあることと言えばよくあること。
どこを探してもなかった老眼鏡は頭の上にのっており、
さっきまで使っていたイヤホンは、やっぱり耳に挿さっている。
マスクを探せば、顎の下に貼り付いていて、
冷蔵庫の奥に大切に隠しておいたスイーツは、
忘れないうちにとすでに自分の腹に入れ、
そしてその事さえ忘れてしまって、また冷蔵庫の奥を探す。
きっと「自分探し」もそんな感じなのかもしれないなぁって、今になってそう思ったりする。
それじゃ探していた時間は無駄だったかというと、今ではそう思っていない。

今まで遠くまで何かを探しに行って、
大切なものやお宝を探し当てて帰ってきたことはあっただろうか?
というより、遠くまで何かを探しに行った記憶がない。
それは絶対に探しに行かなくてはならないものですか?
代用できるものはありませんか?
いつまで探すのですか?
そんなに大切なものってなんですか?
いつもこう書いていると、
最後は、
「それより僕と踊りませんか?」になってしまう。
やっぱりあの曲は名曲だなぁという結論になってしまう。
いろいろなところに忘れてきたもの、
忘れてきたことさえ忘れているものも、
たくさんあるだろうけど、
それをまた探しに行くのはやめておこう。

きっとそれは無くてもどうにかなるものだろうし、
すでに頭の上にのっていたり、
顎の下に張り付いているかもしれない。
そして、必要な時には、
お尻が震えてくれて、
腰を上げることだろう。