VR(バーチャルリアリティ、仮想現実)とかじゃなくて、親子での話なのだが。
子供が何処かへ旅行へ行ってきて、とっても楽しかった!と言う話を聞くのは我が事のようにうれしい気持ちになる。まるで自分が旅行してきたみたいに思ってしまう。
仕事の話でも、こんなことができるようになったとか、ある仕事で顧客に大変喜んでもらえたとか聞くと、うれしくてたまらなくなる。
特に自分がやりたくても出来なかったことを実現してくれたり、到達出来なかったところへ辿り着けたりしたら、自分が出来ていなくても不思議と満足できる。
子供たちが帰省したときに、そんな話をたくさんしてくれるのがうれしくて、ずっと質問攻めにしている。

以前、自分が実家へ帰省したときに、父や母とたくさん話をしたことを思い出す。
「最近、何処かへ出かけたか?」
「新神戸駅のすぐ裏手に、布引の滝と言うのがあってね。新幹線を降りてすぐ駅の裏から登っていけるんだよ」って父に話すと、すぐさま地図を取り出しページをめくって、
「あぁ、ここか。なるほど、駅のすぐ裏手が山なんだな」
それと同じようなことを私もやっていることに気づく。
「この前、〇〇公園ってところ初めて行ったんだけどね」って息子が話始めたら
「ちょっと待ってね。」とノートパソコンを取り出してGoogle マップでその場所を表示させるのは、私の父と同じだなって思った。どう言うルートで行ったのか、そこからの景色はどうだったのか、帰り道はどの道路を通ってきて、どんな名物があったのか。色々と聞くのが楽しい。
そう思うと、自分の両親のためにもっと頻繁に帰省して、もっとたくさん近畿地方の話、仕事のこと、子供たちのこと、出かけた時のこと、何でもかんでも聞かせてあげればよかったなと思うばかりだ。思い返せば、帰省した時は父とは関西地方の話と歴史の話。母は、会っていない間に描いた水彩画を次から次へと見せてくれて評価を聞かせて欲しいと言われた。今なら、そんな両親の気持ちがとてもよくわかる。
お土産とかお金をかけての品物は特に要らないから、どんな経験をしてどんな風に思ったのか、何を見て、何を聞いて、何に触れ、何を食べてきて、どうだったのか。そう言うのが聞きたい。
また、誰かしら子供が帰省したときには、掴まえて質問攻めにして色々と話を聞かせてもらいたいなぁ。
>お土産とかお金をかけての品物は特に要らないから
⇒そのとおり。
先週、しんちゃんのことを考えていたら、
「最近、連絡できなくて、ごめん!元気にしてる?」と
しんちゃんからLINE。余りのタイミングのよさに、
「お母さんもそう思っていたところ。さすが親子だぁぁぁ!」と返信。
しんちゃんママさん
>「最近、連絡できなくて、ごめん!元気にしてる?」
ホント、お優しいですね〜。(^_^)
>「お母さんもそう思っていたところ。さすが親子だぁぁぁ!」
以心伝心ですね。
親孝行、したいときには親はなし。いつまでもあると思うな親と金。
これにKURIさんの言葉を合わせると、親との関係とはそういうもんなんのかなあ・・と思ってしまう。ここからさらに演繹すれば「大切なものは失ってからでないと解らない」という事になろうか。ため息がでそうな結論だが、人間の基礎的な仕様とはそういうものととらえ、再度前を向く私であった・・(笑)。
あかいみさん
おっしゃる通りだと思います。
>「大切なものは失ってからでないと解らない」
頭ではわかっていても、いざ失ってみるとその大きさに呆然とします。ヒトはそういう仕様になっているのでしょうね。