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「伊勢金比羅参宮日記」を含む歴史関係、日々の料理レシピ、乾癬について、山歩き、生活の知恵、5人の子育てなど、多岐にわたる個人ブログです。

伊勢金比羅参宮日記 歴史

旅中心得

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 現代の旅でも山歩きでも通用する、江戸時代の旅の心得。伊勢金比羅参宮日記において、旅行中に気を付けることを栗原順庵が教えてくます。

 私はあまり旅をする方ではなく、近所の低い山を歩いたりする程度。泊まりがけの旅行はあまり好まず、知らないところに泊まるとあまり眠れなかったりします。

 「あ〜、やっぱり自分の家が一番だなぁ〜」というタイプ。そんな私が苦手と思う旅行を少しでも楽しくなるようなコツを教えてもらおうかと思います。 

 群馬から伊勢、四国金比羅、瀬戸内、大阪、京都と廻り中山道を歩いて再び群馬までの69日間の旅での教訓。

 それでは一つずつ短い文章で書いていきます。

・「旅行は長休みするべからず。」

 私も大したことない山歩きの経験から、「休憩は荷物を下ろさず、座らず。」を心がけています。荒天で舟が出ないとなれば宿屋にて何もすることなく滞在することになり、やることもなく動かずにいると体調まで崩れてくる。ある決まったペースで行動をしていた方が体も楽なのかもしれません。

・「朝は早く出発、暮れの到着は早く着くように心掛けること。とかく急がず、怠らず歩行することが肝要である。」

 うんうん、よくわかります。日々のペースを崩さず、怠らず歩いて行くこと。これは人生そのものですねー。朝早く出発すれば途中急がずに済みますし、急いだことによってのトラブルも避けられます。

・「まだ暮れには早いといって、もう1、2里越えて泊まるというのはよくない。それで足を痛めるものである。かつ、出発が遅れると万事人の後になってしまい困る。」

  上の続きの文章です。
 これもよくわかります。私はジョギングをしているのですが、蚊が止まるほどゆっくり走っているのですが、それでも調子が良い時はついつい頑張って走り過ぎてしまい、翌日になって足が痛くなったりしてしまいます。
 出発が遅れるといつも人のうしろになってしまって、無駄な待ち時間を過ごさないといけなくなり、イライラして行動も雑になるものです。早く出発するためには早く寝る。早く寝るためには、早く到着する。そしてそのペースをキープすることです。

・「山路に入ったら、余裕をもって良い宿を見つけ次第、日が高くても泊まってしまうこと。行き暮れて坂などに掛かってしまうととても困ってしまう。」

 安心して寝られる宿に泊まることは、その日の睡眠の質にも関わってくること。睡眠の質が落ちれば翌日の行動にも影響が出てきます。暗くなってしまってから宿屋を探しても足元を見られて高い宿泊代をふっかけられたりしますし、いい宿は既に空いていないでしょうから、質の悪い宿に泊まらないといけなくなります。

・「たまたま早く到着してしまったら、しらみ狩りのふんどし洗い、肌着洗濯などと随分と用があるものである。」

 「持ち物編」を見ていただくと分かるように、肌着の数が少ないのは、こまめに宿屋で洗濯をしているということ。夕方に洗って軒下に干したとして、翌朝には乾いていたのでしょうか?それともそれ用の風通しの良い物干し場があったのでしょうか?
 「ケジラミ」は人の陰毛部専門に食いつく吸血性昆虫です。主に「不潔な性交渉」から伝搬するものなので、この後に出てくる「賤妓」という存在は要注意なのでしょう。そのためにも「しらみ狩」のフンドシ洗いは大変重要な仕事。毛じらみに一日数回噛みつかれたら、痒くて気が狂いそうになり、歩いているどころじゃないです。

・「海上は大体延引(えんいん:長引く)然るべきなり。風や雨があるときは特に難儀する。日数も却ってかかるものである。」

 海のことはよくわかりませんが、荒天の時は海も荒れてスピードも落ちることは容易に想像はできます。大型客船でなく小舟ですからそれこそ命がけだったことでしょう。

・「かつ船酔いがなくても退屈千万なり。また十人に三人は必ず酔うものである。」

 確かに暇だろうなと思う。揺れているから日記も書けず、本やスマホもiPodもない。10人のうち3人は必ず船酔いするということですので、ひたすら我慢、忍耐、辛抱なのでしょう。

・「とかく、上衝強き人、溜飲有の人、風邪の気ある人など酔いやすい。酔ってしまったら、早く船底に楽な姿勢で横になること。多く愁(うれい)を免るものである。瓢(ひさご・ひょうたん)に水を入れて、梅干しなどを用いること。」

 「上衝(じょうしょう)」とは漢方用語で「気が上に昇り不快なこと」。気は下降しなければいけないのですが、それが逆流して昇ってしまい頭痛、めまい、動悸、激しい咳、吐気などの症状が出てしまいます。
 「溜飲(りゅういん)」は、胃から上がってくる酸っぱい液。消化不良によって胃に溜まっている液が上がってくる。
 変え気味の人も酔いやすいようですね。
 梅干しも効果的!二日酔いと一緒。

・「宿では、箱根を越えてからは座敷へ通ってから「上はたごはいくらか」と聞くこと。その上で上はたごに申し付けて、翌朝帳面を差出し銭付けさすこと。値段を聞かずに帳面を出してはいけない。」

  実際に旅行してみると、こう言った細かいコツがありがたいんだと思います。箱根を越える前とあとでは違うというのも面白いです。このように書き留めておいたということは、「ワシもひどい目にあったから」だったのでしょうか。そう考えるとクスって笑えます。
 持ち物の「帳面」というのはただの「ノート」「メモ用紙」じゃなくて、こういったことに使うものだったのですね。

・「札通用のところでは、すべて買物何百何文と値切るべきではない。やはり何厘何分と言うこと。でなければ、払方にて損が出る。」

 「札通用」とは、藩札やら手形などの小切手のようなもので払えるお店ということ。そして、「値切る」とありますが、いわゆる「安くさせる」「負けさせる」という話ではなく、お金の単位の話だと思います。
 金1両=銭8460文、
 銭1貫文=銀12匁6分6厘
 という具合に、金と銀では単位が違います。「江戸の金遣い」「上方の銀遣い」というように地域によって違う。そこで両替商が活躍するのですが、そのときに「文」ではなく「何分何厘」にしてもらうということみたいです。ドルで買い物したら為替で円換算したら高い買い物になったみたいな感じでしょうか?

道中五戒あり 慎むべし

1・賤妓:やす女郎なり

 賤妓100人のうち95人は梅毒に罹っていた言われるほど、安い女郎には性病が蔓延したいたようです。もうお互い命がけです。いつの時代も一緒。

2・夜行:よみち

 現代の日本では夜でも明るく治安もそこまで悪くないので若い女性でも歩けますが、海外で若い女性が夜ひとりで出歩くのはまず考えられないことでしょう。いつの時代もこれは一緒。

3・渡海:うみ、ふね

 この頃に比べれば船の機能も高くなりそう簡単に沈没したりすることもなくなりました。天気予報も正確になり不慮の事故も減ったとは言え、やはり今でも船に乗る時は緊張するものです。

4・馮河:かわごし

 川を渡ること。特に歩いて渡ること。
 橋のない川を渡る方法は、舟で渡るか、川越し人足の手を借りて肩車をしてもらったり、輩台(れんだい)という台座に乗せてもらいそれを担いで渡してもらう方法、または馬渡し。
 川が荒れればしばらく渡船禁止になり川止めとなり、しばらく宿屋に足止め状態となったようです。

5・異食:なれないくいもの

 江戸時代は冷蔵庫がありませんでしたので、生ものは流通しなかったと思います。塩漬け、醤油漬け、乾物などに加工されていたので想像するよりは食中毒などは少なかったと思います。ただ「食べ慣れないもの」はそれとは別で、内陸に住む人が食べ慣れないエビや貝などの海産物を物珍しさでたくさん食べたりすることを戒めているものと思います。

・ 金子の儀は、大阪表島屋佐衛門までおくり付置くこと。合印形押し遣し置き、この印形引合右金子御引き渡し下さるように申し送り置き、道中はたくさん金子を持ち歩かないようにする。

 なるべく現金は持たないということ。小切手のようなもので済ませよう。盗まれることが多かったのでしょうね。胴巻きに入れて体に巻いておくのも限界がありますからねぇ。

・ 道中ではたとえ近辺の人に出会っても平生懇意の人でなければ同行同宿してはいけない。

 知らない人について言っちゃいけません。仲良くなっても一緒に旅をしたり、同じ宿に泊まってはいけません。無闇に人を信じてはいけません。

・ 宿引には決してひっかかってはいけない。また、叱ってはいけない。弄んではいけない。只々かまうべからず。決まった宿を聞いて来ても言わずに、すっと宿を決めておいて入ること。

 客引きやキャッチセールスには気を付けましょう。そして、その客引きを叱ったりからかってもいけません。ただただ相手にしないこと。あの手この手で気を引こうとするので、ひたすらスルーで。

・ 寺院神社などの境内に入って、樹木草花などに手を付けてはいけない。鐘鼓共々打ち鳴らしてはいけない。万事そのあたりにいる商人などに問い合わせてからすること。道を歩いている人は、その土地の人に見えても言語などかわすべきでない。

 神社仏閣のお庭の草花を取ってはいけません。触るのもダメです。やたらと鐘や太鼓を叩くのもいけません。どうしてもというときは、近くにいるお店の人に聞いてから行うこと。
 道ゆく人は、地元の人のように見えても無闇に話しかけるべきではない。

・ 出発の日は必ず吉日を選ぶこと。暦の他、唐一行禅師の旅立吉凶必ず見ること。

 一行禅師は真言高僧八祖(第6祖)一行阿闍梨であり、中国の科学者。大衍暦(だいえんれき)という暦を作り、天体義、地球儀も作っちゃっているすごい人です。「唐一行禅師出行. 目之事」

・ 参宮の吉悪の年があり、これも選ぶこと。(いずれも日野屋源左衛門施板に出る)

 日野屋源左衛門は「中井 源左衛門」という近江商人。「日野」は屋号。現在の滋賀県蒲生郡日野町出身。元は日野碗の製造販売であったが、あちこちに支店を作り、取り扱う品物も塗り物だけだったのがその土地ごとの産物も含めて生糸・紅花・漆器・薬などにも広がり、金融業、製紙、酒造までに至った。明治維新で大名に貸していた借金の貸し倒れや生糸の生産が落ちたことによって廃業となる。

・ 宿屋の儀は、その宿によってまた家の盛衰によるが、まず浪花講組の商人宿が良い。これなどは帳面がある。求めて持参すること。

 当時は旅が盛んになり旅籠の需要も上がったが、安心して宿泊できる旅籠は少なかった。飯盛女という旅籠お抱えの遊女がいたり、一人旅を断る旅籠もあったといいます。そんな事情を憂えた当時の旅館組合が「浪花(講)組」を作り、全国主要街道の優良旅館を決めて旅籠の店先に看板を飾れるようにしました。また、「浪花講定宿帳」を発行して宿場ごとに加盟店の旅籠名を掲載し、それは道中記を兼ねた帳面であったとのことです。

 以上が、栗原順庵の旅の心得でした。いかがでしたでしょうか?

 昔と今とでは大違いというのもありましたが、昔も今も変わらないなというのもありました。

 旅はいつでもワクワクして新しい発見があるもの。そんな体験をするにはリスクも伴います。そのリスクをいかに少なくして得るものを多くするか。そんな知恵をたくさん教えてもらった気がします。

 どうかみなさんも良い旅を!

-伊勢金比羅参宮日記, 歴史

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