
1993年に米軍が失敗したソマリアの将軍の捕獲作戦を、ノンフィクション小説を原作にリドリー・スコット監督が映画化。撮影は、クシシュトフ・キエシロフスキー監督とのコンビで知られるスワボミール・イジャック。編集は「G.I.ジェーン」以降のコンビ、ピエトロ・スカリア。撮影にはロケ撮影と野外セットを駆使。モロッコの町中に、ドラマの標的となるビルを含む巨大な野外セットを4カ月かけて建築、あらゆる角度から撮影された市街戦が展開。
どうして若き米兵が遠く離れた東アフリカの地で戦っているのかということは、深く語られていない。
想像するにはその米兵たちもそれほど詳しくわかって戦っていないのだと思う。生死の境のギリギリのところで戦い、どうにか生き延びられても再びまた戦場へと赴くその精神はどうなっているのか、私には到底理解できないが、その兵士たちは語る
「仲間のためだ」と。
ソマリアの民兵のことも深く描かない。次々と容赦無く殺していく。父が撃たれてそこに子供が「お父さん!」と泣き崩れるようなシーンもあるが、映像として撮るだけで深く掘らない。
あくまでもソマリアに送られ、そこで指令を受けてその指令通りに動く。深くその意味を考えてはいけない。ただ命令のままに戦う。それに尽きる。いつも明るく。そして、次の指令が来れば再び戦う。
そういうことが出来るような精神状態に持っていくにはどのようにすればいいのか。その状態から戦闘が終わって帰還したのちに、戦闘のない世界で暮らしていけるのだろうか?
自分が生きる世界とは全く違う世界なだけに、想像してもよくわからない。
ただただ自分の生きる世界がそのような世界にならないようにしなければと思うばかり。
自分でも不思議だが、こういう恐ろしい戦争映画をチョイスしてしまうのはなぜだろうと思う。もっと楽しい映画があるのに。
この精神状態はなんなのだろう?どうしてみんな戦争映画好きなんだろう?
何度も見ようとするも、必ず睡魔に襲われ最後まで見切れない作品ですzzz
Akiさん
ニュースで「ソマリア」と言う国名は何度も聞いていましたが、こんなことになっていたとは知りませんでした。