
直木賞候補になった小説「愚行録」の映画化作品。
ある未解決エリートサラリーマン一家の殺人事件から1年。それを追い始めた週刊誌記者「田中(妻夫木聡)」は、殺された家族の大学時代の友人たちに取材を重ねるうちに、次々とその友人たちから語られる被害者の裏の姿を目の当たりにするようになる。
田中には妹が一人いるが、未婚の子を産んだものの育児放棄で捕まってしまう。田中兄妹の両親は離婚しており、小さい頃から二人で苦労を重ねてきた。
妻夫木聡の抑圧的な演技と、満島ひかるの秀逸な演技が光り輝き、鑑賞中目が離せなくなる。
日々の何気ない差別感、偏見による妬み、嫉みが蓄積することによって、衝動的なトリガーによって思いもよらぬ行動に出てしまう。きっとこれは誰にでも起こりうることではないだろうかと空怖ろしくなるばかりだった。
しかし、どの世界に入っても「いじめ」は無くならず、どんな善良そうな人であっても心の中には「悪」が棲みついている。その存在にいつ気が付けるかにもよるが、「自分は大丈夫」と思っている人ほど危ないかもしれない。
たまたまその「悪」の部分を出さずに済んでいただけかもしれない。いざその「悪」の存在に気づいた時に、それが暴走した時に、押さえ込むことができるだろうか。自分でも自信がない。
自分が生まれ落ちた環境によってある程度当面の進路が決まってしまうのは抗うことは出来ない。そこから自立した時に、どのように自分の道を歩くことができるのか。どこまで負の遺産を取り返すことができるのだろうか。それもまた本人の努力とは違うところにあるものだろうか。
絶望感や無力感も感じつつ、どこに希望の光を見出せばいいのか、いろいろと考えさせられる映画であった。かといって、希望がないかという訳ではなく、そこからどうすればいいのか?と考えることは、希望に向かって歩き出すということである。
誰しもある程度生きていくことで人生の「底」を踏むことになる。その時にそこが「底」と認識できればいいが、まだまだその先に「底」がある場合もある。あと少しで「底」だったのに、最初の「底」だと思ったところが「底」でなかった時に「絶望」を感じる。
そんな経験を数回重ねるうちに、少しは慣れに近いものができる。とは言え、その数回が「底」だと思ったすぐ先にたまたま本当の「底」があっただけかもしれない。結局のところ、その人の強さとか経験値とかということもあるが、その時の自分の状態、様々な状況によって、神の悪戯のようなタイミングで重なった時にどれだけそこから救いの手らしきものが差し伸べられるのか。そんなのは唯の「運」のような気もする。
この手の話は、考えれば考えただけ深いところに入り、足を取られる。
「結局さぁ〜」と投げ出したくもなってくる。
そんなことを色々と考えしまうきっかけになるような映画だった。そんなことを考えてみたい時にはいいかもしれない。
私にとってはなかなか秀逸な映画であったことは間違いない。