
この映画も観たような観ていないようなって気持ちで見始めた。
観ているうちに、やっぱり「観ているわ」って思いつつも、その後の展開がまったく思い出せない。
結局、最後のオチまで観て、「あぁやっぱりこれ観ていたわ」ってことになった。
記憶力がやばい。
そのおかげで、1本の映画を何度でも楽しめていいかもしれない。
この作品は、井上真央ちゃんの演技が素晴らしい。朝ドラの時のイメージとはまったく違う。
綾野剛くんのダメっぷりも見事だし、染谷くんの演技も脇役ながら秀逸。現在の大河ドラマの「信長」とはまるで別人。
湊かなえさんの作品らしく、事実は各人の視点ごとに違う。人は自分の都合の良いように嘘をつき、それが真実だと思い込む。人の心理を深く掘り下げて、汚い部分を曝け出していく作風は、いつもドロドロとしたものを感じる。それでもまたそれを味わいたくなるから不思議だ。
この映画では、Twitterが重要なポイント。たくさんのつぶやきによって、犯人が勝手に作り上げられていく。
自分が犯人でないこともわかっているのに、そのつぶやきを見ているうちに「自分は何者だろう?」と思わされてしまう。そんな怖さを感じる。
人は少ない情報だけで、イメージを膨らませてとりあえずの人物を作り上げてしまい、その作られた人物が一人歩きしていく。あたかも一人の人間のように動き出してしまう。
数多くの人が認識するその作り上げた人物は一体何者なのだろうか?自分とはなんなのだろうか?
私自身も、幼なじみの記憶の中の私と、両親や兄弟の記憶の中の私、妻や子たちの記憶の中の私、仕事関係の人の中の私。そんなみんなの記憶の集合体である。
私が自分で自分のことを「こういう人間」って思っているのは、自分のごく一部なのかもしれない。少人数での記憶の集合体ならまだしも、これが日本中の人が想像し思い描いている犯人像が自分であったなら、そして、日本中の人が「そいつはきっとずる賢いやつ」「そいつは小さい頃からオカルト好きで根暗なやつ」「いじめられてトラウマを持ったやつ」という思い込みを持った時、果たして自分は自分で自分を維持できるのだろうか?と感じた。
改めて「自分ってなんだろう?」と考えさせられた映画だった。
そういうことを自然と感じられるような演技をしてくれた井上真央さんはなかなかすごいと思う。