
巨匠クリント・イーストウッドが自身の監督作では10年ぶりに銀幕復帰を果たして主演を務め、87歳の老人がひとりで大量のコカインを運んでいたという実際の報道記事をもとに、長年にわたり麻薬の運び屋をしていた孤独な老人の姿を描いたドラマ。家族をないがしろに仕事一筋で生きてきたアール・ストーンだったが、いまは金もなく、孤独な90歳の老人になっていた。商売に失敗して自宅も差し押さえられて途方に暮れていたとき、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられたアールは、簡単な仕事だと思って依頼を引き受けたが、実はその仕事は、メキシコの麻薬カルテルの「運び屋」だった。脚本は「グラン・トリノ」のニック・シェンク。イーストウッドは「人生の特等席」以来6年ぶり、自身の監督作では「グラン・トリノ」以来10年ぶりに俳優として出演も果たした。共演は、アールを追い込んでいく麻薬捜査官役で「アメリカン・スナイパー」のブラッドリー・クーパーのほか、ローレンス・フィッシュバーン、アンディ・ガルシアら実力派が集結。イーストウッドの実娘アリソン・イーストウッドも出演している。
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クリント・イーストウッドと言う監督は、年齢を重ねれば重ねるほど作る作品の質が上がっていくと言うのはどう言うことなのだろう?多くの人は、ある程度のところでピークを迎えてそこから下降していくと言うのに。
この映画も、どこかで共感できる人物が多い気がする。
90歳近くになるこの老人は、ずっと「デイリリー」と言う1日だけ咲く可憐な花を育て、それを売って生活してきた。しかし、徐々にインターネットでの販売にやられ売り上げは下がってきて、ある時借金がかさみ、土地建物まで奪われることになる。
家族のことなど見向きもせずに仕事一筋でやってきた。娘の結婚式にも参列しなかったほど。そんなだから家族には疎んじられて、娘はもう何年も口を聞いてくれない。妻も顔を合わせれば喧嘩ばかりだ。
「100歳まで生きようとするのは99歳の人だけだ」こんな台詞も口にするようになる。
しかし、やはり寂しさと経済的な困窮は老体には厳しく、
「大きな代償を払って、やっと家族が大事だと気づいた」と嘆いてもいる。
そんな時に、車を運転するだけでお金をもらえると言う仕事に出会う。そのくらいのことなら自分でも出来ると。しかし、それはあるモノをある場所に運ぶと言うことだった。そのモノとは運んではいけないものだった。
大量のコカイン。
老人が鼻歌歌いながら運転する車は、捜査線上にも上がらないのか不思議と捕まらない。それだけに何回も運び屋としての仕事を確立していき、ボスに認められるようになる。
大金を手に入れたが、それを孫娘の結婚パーティーのために使ったり、地元で閉店に追い込まれた退役軍人施設に寄付して復活させたりさせる。悪いことをやった金だと分かっていながらも、今まで自分がしてきたことの贖罪をしている感じだ。
自分が90歳になると言うことは想像できない。それもまだ自分で動くことができて、車の運転も問題なく、頭もしっかりしている主人公。もう老い先短い自分が、運び屋で儲けた金で身近な人を幸せにするくらいしかないだろう。
きっと自分もそうだろう。もしもある程度のお金があれば、それを子供たちや孫たちに必要な分だけ手助けする。きっとそうすると思う。それが犯罪によって手に入れたお金であるとなると話は変わってくるが、90歳にもなったらその判断もできるかどうか自信がない。
カーステレオから流れてくるカントリーミュージックが、その生き様を象徴しているようだった。日本人は歳と共に演歌のように生きて、アメリカ人はカントリーミュージックのように生きていくのかもしれない。
演歌とカントリー。根っこはどこか似ているかもしれない。