
アメリカ独立記念日に生まれたれヴェトナム帰還兵の青年が、さまざまな心の葛藤を経て反戦運動に身を投じてゆく姿を実話を基に描くドラマ。ロン・コーヴィックの同名小説を基に製作・監督・脚色は「トーク・レディオ」のオリヴァー・ストーン、共同製作はA・キットマン・ホー、共同脚色はR・コーヴィック、撮影はロバート・リチャードソン、音楽はジョン・ウィリアムス(2)が担当。出演はトム・クルーズ、ウィレム・デフォーほか。日本版字幕は戸田奈津子。カラー、シネスコ。ドルビーステレオ。1989年作品。
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タイトルはよく知っている映画で名作らしいということと、トムクルーズが主演ということは知っていた。そして、監督がオリバーストーン監督ということも。でも、それ以上のことは知らないまま見始める。
この映画を観ての感想は。
何が正しくて何が間違いなのか、何が正義なのか何が正義ではないのか?、理想と現実の狭間で何を信じて生きていけばいいのか? 自分は一体何者なのか? 資本主義が正しくて共産主義が間違っているのか? 戦争はいけないのか?必要悪なのか?
子供の頃から礼拝にいけば女や子供は殺してはいけませんと言われて育ったのに、いざ戦場に行ったらそんな教えなんてクソ喰らえって状態で、動くものすべて撃ちまくり、仲間同士の殺し合い、麻薬中毒、民間人の殺戮など当たり前の地獄絵図。愛国心を持って祖国のために戦いに行ったはずが、どうして女こどもを殺し、仲間まで殺さなきゃいけないんだ。その上、自分も撃たれて下半身不随の車椅子生活になってしまった。そんな身体で帰国したら、よく頑張ったな、大変だっただろうと同情されるかと思えば、なんだか周りからは冷たい視線で見られ、世の中は反戦デモが盛んで「国に騙されて遠くの国まで戦争しに行っている奴が悪い、自業自得だ」みたいなことを言われる。
私は戦場に行ったことがないのでよくわからない。よくわからないのに知ったかぶってあれこれ語るのも違う気がする。「それじゃお前戦争で人を殺したことがあるのか?」と言われりゃ、「あるわけないけど、俺だったらそういう時はこうする」なんてことも簡単には言えまい。その時その場所に立ってみないとわからないのだ。
人前でスピーチすることでさえ、「あんなの話す内容をしっかり暗記して、その暗記した通りに喋ればいいだけだ」というのは簡単だ。しかし、あんなにしっかり暗記して、何度も練習していったのに、いざマイクを持ってみんなの前に立ったら、暗記した内容をすべて忘れてしまって真っ白になって何も話せなかったというのがオチになることが多い。
戦場に行ったら敵に狙いを定めて引き金を引くだけだというのは簡単だが、おそらく突然に震度6の地震に襲われたように何も動けずその場で体勢を維持することだけで精一杯だったような気がする。戦場に行った時に自分はどういう精神状態になって、どうなってしまうのだろう?自分で想像もできない。周りの雰囲気に流されて、周りの仲間と同じような行動をとるだろう。どうしていいのかわからないから、上官の命令に従うのだろう。従わなかったら激しく殴られるのだろうから、結局生き延びるためにやりたいとかやりたくないとか考えられず、論理的に頭で考えることなく行動をさせられてしまうのかもしれない。
この2年のコロナ禍でもつくづく感じた。当初はマスクなんてしたくなかったが、周りの視線が怖くてマスクをした。もしかしたら、20年後くらいにコロナ禍を知らない若者に「マスクしたくなければしなければよかったのに」と言われたらなんて答えるだろう?「あの雰囲気でそれができる人は相当肝っ玉が座っている人だと思う。そんな時代だったんだよ。」
「どうして戦争反対って声を上げなかったの?」「そんなことをとても声に出せる雰囲気じゃなかったんだ。そんな時代だったんだよ。」
その時その場所に立ってみないとわからないんだ。口だけではなんとでも言える。「その時、俺だったこうしていた」「そんな時はこうするべきだったんだ。」なんてことは後からなんとでも言える。
ただただ、自分の国がこれからも戦争状態にならないことを祈るばかり。
そんなことを考えた映画だった。
懐かしい映画です、ウィレム・デフォーってホントにいろんなジャンルで出てきます。
Akiさん
名前を聞いてもわかりませんでしたが、顔写真を見たらすぐにわかりました。確かによく見る人です。でも、この映画のどこに出ていたのかがよくわかりません。「チャーリー」というと、メキシコで出会った車椅子の髭面の帰還兵か。わからないもんですねぇ。
吹き替えの声をあてている人が、山路和弘さんが多いんですね。今朝の朝ドラ「ちむどんどん」で仲間由紀恵と再婚話が出ている山原商店の「善一」さん。(^_^)