
自家用車のことである。
学生時代も、北関東に住んでいた頃も、もう毎日よく乗った。乗らなければ生活できなかった。
通学、通勤、レジャーや日常の所用もすべて車だった。
家族みんなで車に乗って出かけるというのが当たり前だった。「ちょっとタバコ買ってくる」って、歩いて5分のところだって車で出かけた。
それが今ではどうだ。
田舎であっても県庁所在地に住むようになって、電車の便利さと安全性を知ってしまうと当たり前のように電車に乗るようになってしまった。
徐々に車に乗る頻度が増えてしまったために、運転が億劫になってしまった。以前は歩くのが面倒だからドアtoドアでどこでも車だったのが、今では歩くのはまったく苦痛でなくなった。
運転が面倒になると、運転が下手になる。安全確認も疎かになって怖い思いもするようになる。何度も安全確認しなければならないし、何度確認しても安心できない。
細い道から出る時も、以前はチャチャッと左右確認して「それっ!」ってアクセルを踏めたのに、今は左右、もう一度左右、そのうち左から車が来ちゃってまた左右。そんなことしているとなかなか出られない。
だから、娘と一緒に出かける時は「運転して!」って頼むようになった。
そうやって運転することが減れば減るほど、運転が億劫になり下手になっていく。
しかし、歩くことが多くなったことで、どこへ行くのも歩くようになった。長時間歩けるというのは特技でもある。しかも小走りなら長時間走れる。
もしも仮に、何か天災が起こって、電車も止まり、道路も大渋滞で車が動けないと言っても、歩いて2時間半かけて京都まで行けるような気がする。車なら1日かけても辿り着けないだろう。
大阪で災害に遭っても、体が無事なら1日かけてでも歩いて帰ってこられる気もする。
だから、車の運転をしなくなったからと言って、ここに住んでいる限りは不自由を感じない。
しかし、この場所に住んでいるから言えることであって、以前暮らした場所に住んでいたらそんなことは言っていられない。絶対的に車は必要だ。
そういう意味ではかなり恵まれた場所に住んでいるということだろう。ありがたいことである。
車も、街中を乗るだけだから、ちゃんと動いて細い道も走れて、駐車するのも楽な車がいい。加速、トルク、大きい、かっこいい、頑丈とか気にしなくなった。以前は、カタログ並べていろいろな数値を気にして比べたのにね。
これからも車を運転する頻度は減っていくだろう。そしていずれそれほど遠くない時に、車を手放す時もくるのだろうか?
出来ることなら、運転席に乗って行き先を口にすれば、自動運転で目的の場所まで運んでくれるのが理想だ。そのために今持っている運転免許証が必要なのであれば決して返したりはしない。
今と同程度の毎月の経費でそれが出来るのならこんな素晴らしいことはない。誰かにお願いして自分を移動してもらうというのはちょっと気が引ける。自分の力で移動できるのが一番お気楽だ。
技術の進歩はそうあってもらいたいところだ。
父親の認知症を見ていると、一番認知症効果の高いクラッチ付き二輪に乗りたくなります。
40過ぎで免許取り70過ぎでさっさと返納、運転は自分の奥さん任せ、するとああなるんだなってw、と言って今更KURIさんに2輪に乗れなんて絶対言いませんが^^
Akiさん
今からバイクに乗り始めたら、転んで怪我するか、事故を起こして面倒なことになるのがオチだと思うので、それよりここで暮らすには歩く方を充実させた方が良いという結論に達しました。(^_^)
あのままそちらに住んでいたら、きっと可能な限り車は乗り続けていたと思いますけど。