自分は何をしている時が楽しいのか。
ギターを弾いている時、
ピアノの鍵盤を叩いている時、
適当なイラストを描いている時、
好きな音楽を流しながら文章を書いている時、
湖岸を走っている時、
山や街を歩いている時、
本を読んでいる時、
映画を見ている時、
ゲームをしている時、
一人でやることはこんなところ。
二人以上となるともっともっと多様になってくるが、歳とともに一人の時が多くなってきた。
働いているときは、いつも緊張していてドキドキしっぱなしだから、それが終わるとほっとして好きなことをやりたくなる。ボーッとしたいというのはなくて、何かゴソゴソしていないと落ち着かない。
もし仕事を辞めたら毎日気楽な日々で、現在の休日のように好きなことをやっていられるのだろうか?
それとも退屈な日々で、働いていた時の休日とは別物なのだろうか?毎日が休日というのも変な感じだ。
悠々自適な生活というのは楽しいのだろうか? 嫌だ嫌だと言いながらも働いていた方がいいのだろうか?
死後の世界と一緒で、その先がどうなっているのか分からないから不安に思ったり、逆に妙に期待したりしてしまう。
ただ、仕事をやめた人は周りにたくさんいる。その人たちに聞いてみてもその答えはまちまち過ぎてあまり参考にならないのだ。毎日が楽しいという人もいれば、働いていた時の方が充実していて楽しかったという人もいるし、今は最悪だという人までいる。
それは、働いている時でも同じ。早く仕事を辞めたいという人もいれば、今が最高に幸せという人もいれば、早くこの地獄から抜け出したいという人もいる。これはどの時代でも同じかということか?
小学生の頃は早く中学生になりたかったし、中学時代は早く受験が終わって高校生になりたいと思った。高校になれば早く大学生活をエンジョイしたいと思ったし、大学生になったら早く社会人になって立派な?大人になりたいとも思った。結婚したり、子供が出来たり、車を買ったり、家を買ったり、引っ越したり、その都度、その次のステップへの憧れが少なからずあったような気もする。
今も還暦を前にして昔と同じことを考えているのだろう。次の世界は今よりももっと楽しいのか?それとも今までと同様にどの世界も大変なのか。「大変」だと思っている人はどの世界でも大変だろうし、「今が楽しい」と思っている人は、どの世界でも楽しいのだろう。
今を楽しむ。今を面白がるというのはそういうことなのかもしれない。今が面白くなくては次の世界も楽しくないのかもしれない。
だから「今を楽しむ」。
