
琵琶湖疎水沿いを藤尾から四宮、山科安朱橋、御陵(天智天皇陵)と歩いてきて
この橋が行き止まり
その先、疎水は暗渠となり再び地上に出るのは蹴上になる。
コンクリートで作られたアーチ状の橋は、一見なんてことないただのコンクリート製のアーチ橋なのだが
実は、明治37年(1904年)に架けられた、日本で最初のコンクリート製アーチ橋なのである。
1904年というと、日露戦争の年。
琵琶湖第一疏水は、1890年に完成し
琵琶湖第二疏水は、1908年に着工される。
その間に作られたコンクリート製アーチ橋となる。
その橋の南側には、コンクリート製のレトロな邸宅

この邸宅は、染織家でもあった鶴巻鶴一氏の自邸として建てられた(現:栗原邸)。設計は、日本におけるモダニズム建築の先駆者のひとり本野精吾氏とのこと。
疏水沿いを歩いてきて、この橋を北側に渡って山に入ると南禅寺へと行ける。
この邸宅脇を抜けて住宅地に入っていくと、三条通りへ出て京阪御陵駅へと行ける。
散歩にはもってこいのコースだ。