また面倒なことを考え始めている。
名探偵コナンの決め台詞である。
人生をそれなりに生きてきた人なら、
「そんなことあるわけないじゃん!」と思うだろう。

それじゃ
「真実はひとつじゃないけど、事実はひとつ!」はどうだろう?
これもどうなんだろうね?
そう思いたい気持ちもわからなくはないけどなぁ。
「事実」ってなんだろう?
「事実とは、本当にあった事柄、現実に存在する事柄。」
「本当」とか「絶対」という単語を、よく使われる時代と、そんなものはない!という時代とあると思う。
今はどちらかというと、「絶対」なんて言葉を使う人を信用するなって風潮がある。
自分のことで言えば、年齢を重ねるごとに、視力、聴力、味覚、嗅覚、運動神経、反射神経、思考能力など諸々の感覚に自信が持てなくなってきた。
「さっきまでここにあったリモコンどこにある?」
と、とっさに思っても、
さぁ本当にリモコンは先ほどまでそこにあったのだろうか?と、自分の記憶を疑ってしまう。
若い頃の能力だったら大丈夫だったのか?と思っても、
やはり、思い過ごし、思い違いはザラにあった。
たとえ、ビデオで撮影していたとしてもどこまで「事実」は証明できるのだろうか?
そう考えると、人を裁くことって難しいなって感じる。
いや、よく裁けるなって。
でも裁かなくちゃいけない。
裁判は極端なことだけど、
日常の中では、そういう曖昧な判断において、行動が決められ、言動に出て、そのリアクションによって波紋が広がる。
人生その連続だ。
あやふやで曖昧な事実認定による「真実」の確率が高いと思われる事が、多数決で真実として決められて、物事が動いていく。
仕方がないことだが、それが現在一番リスクの少ない方法なのだろう。
そんないい加減な社会で暮らしているのに、ちょっとした善悪のことで腹を立てたり、落ち込んだりして、「負」の気持ちを抱えてしまう。
見てご覧よ、世の中いい加減で理不尽なことばかりじゃないか!
本屋に行ってごらん、どれも「これが真実!」という「嘘」に溢れているじゃないか。
テレビでも新聞でも毎日いい加減なことばかりじゃないか。
いい加減にも程がある!というのでなければ大丈夫なのかもね。
それに怒る人よりも、それを黙らせるテクニックなり、力なりを持っている人の方が勝ってしまう世の中。
そういうのをいくつも味わってしまうと、真面目に生きていくのがバカバカしくなるが、そうにしか生きられない人は苦渋を味わいながらも、そこから上手に距離を置き、うまく避けつつ、その中で小さな幸せを見つけていければ、
いつまでも幸せに暮らしましたとさ
となる。
そうなるように、うまく生きていこう。