「空気を読む」とは?
多数派だけで調子良く進んでいるのに、ここで反対意見を出すなと言うこと。
簡単にいえばそんな感じ。
日本人は後輩たちに「常に多数派であれ」を勧める。
「長い物には巻かれろ」「小を捨てて大に就く」「太きには呑まれよ」「寄らば大樹の陰」 この手の格言には枚挙にいとまがない。
それを現代では「空気を読め」と言う。
いろいろと経験を積んでくると、その方が確率的にリスクが少なく得策だとわかるのだが 若い頃はそれじゃ気が済まないし、何より生きていて面白くない。
それだから日本史の戦国時代が今でも人気のある理由だ。
人生やっぱり痛快じゃないと!って思っちゃう。
「空気を読む」まではいいが、そこからどのような行動を取るか。
その空気と逆を進んで、リスクはあるが大きなメリットを取るか、 リスクは取らずにここは待って機会を伺うか。
今朝の朝ドラ「エール」で、 小山田先生の意思に従って録音を諦めるか、それにその反対を逆らってレコードを発売するか。
脚本としては、ここで諦めては面白くないのだ。 映画やドラマの中では空気を読まないことが多く、 実生活においては空気を読んで行動してばかり。
だからせめてドラマの中だけでも日常やりたくても出来ないことを痛快にやってみせてよ! って思う。
仕事柄、絶対的に空気を読まなくてはいけない人も多い。
そんな人の方が多いかもしれない。
制服を着て、決まった時間に働いて帰る。
それが無難で確実な賢い処世術だ。
そんな人生なんて面白くないって言う人もいるだろうが、 別に仕事の上でリスクを背負わなくてもいい
別の分野で痛快に生きればいい
守るべきものが多いほど、どうしても出来るだけリスクは回避する。
当たり前のことだ そう思っていた
しかし、これだけ毎年のように天災に見舞われ
今年も大雨か地震か噴火か?と思っていたところに、
まさかのウイルス禍
「これから僕らはどうなっちゃうんだろう?」
「不確実性の時代」
これらの言葉も、今までに何度ももてはやされてきた。
私たちはいつの時代でも、そんな中で生きている。
確実な世界なんて今まで一度もなかったのに、
いつでも「今が大事なとき」「今が運命の分かれ道」
みたいなことを言って不安に思わせる。
いつもそれにまんまと引っかかって
不安と闘ってきたのかもしれないな
それでもこうやってどうにか生きてこられたけどね。
こんな風にしか生きられないものね。
でもまあ空気は読んで好きなこと言ってると友達も失うかな、
失った記憶はないけど、たくさん捨ててきました^^
訂正
空気読まずに好きなことですね、失礼
Akiさん
空気の読み方って人それぞれだし、地域性もあるし、それぞれの「ふつー」が違うから難しいですよねぇ。