
ひどい時には1日3回食べる時もある
それくらい「好き」
と言うか、体が欲しがるから「依存症」なのかもしれない
必要だから欲しがるのだったらいい
毎食摂取する事によって、何かいい結果が出ているのならとても幸いだ
発酵食品は病みつきになることが多い
なれずしもそうだった
鮒鮨、ハス鮨、ブラックバス鮨、ブルーギル鮨
家族には「臭い臭い」と不評だったが、私は病みつきで食べ続けた
それもなかなか手に入りづらくなり、今度は納豆
これはいつでもどこでも手に入る
関西では納豆嫌いが多いと以前聞いたことがあり
関西に引っ越してきたら納豆は売っていないのでは?!と心配になったが
そのようなことはまったくなく、たくさん売っている
様々なトッピングを入れて、よく混ぜて、ご飯にかけて食べる
と言うのが定番だろうが
もちろん一通りのことはやってきたつもりだが、
徐々にそれも面倒になってきて
今は何もなしでも問題ない
タレも、できるだけ簡単に蓋をパキッと割ると出てくるタイプのものだ
「納豆菌を摂取できればそれでいい」
そんな気分になってきている
練りからしはもちろん、刻みネギ、青のり、刻み海苔、ごま、オクラ、マヨ、酢などなど、いろいろ試した挙句に振り出しに戻った状態。
今は、すぐに入れられる七味と炒りごまだけになってしまっている
おかずとご飯を食べ終わった後、みそ汁を飲む前に
納豆だけを食べる
変かな?
ご飯にかけないでどうする?!
ご飯と合わせてこその納豆だろう!と言われそうだが
近頃、ご飯の食べる量が少ないから、終盤になるとご飯がなくなっちゃう
ただそれだけの理由
どうしてこんなに納豆を食べたくなるのだろう?
体が欲しているとしか思えない
体に食べさせられている
「今、体に必要なものを美味しいと感じる(嗜好品はのぞく)」と言うのも聞いたことあるが
そんなことを立証するのはむずかしい
家族は食後にヨーグルトを食べている
食べ始めたら、ヨーグルトを食べないと落ち着かないそうだ
私の納豆と一緒だ
ハチミツやらジャムやらグラノーラやら様々なものをトッピングしている
ヒトの小腸の中には腸内細菌というバクテリアがいて
その数はざっと数百兆匹! 数百兆匹ですよ!
それじゃヒトを作っている細胞の数はというとおよそ40兆個
数だけでいえば、ヒトの体ってバクテリアの方が多いってことです
もしかしてだけど、
そのバクテリア様の欲しがるものを、私たちは食べさせられているのかもしれません
そんな妄想を抱いてしまいました
ヒトはただの分子の淀み
そう考えると「死」という概念がまた違ったものに思えてくる