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「伊勢金比羅参宮日記」を含む歴史関係、映画鑑賞の記録、日々の料理レシピ、乾癬について、山歩き、生活の知恵、5人の子育てなど、多岐にわたる個人ブログです。

ライフシフト 生活

結局いつものところにたどり着く

投稿日:

 岡目八目という言葉がある。囲碁の用語だ。

 当事者よりも第三者が客観的に見た方が、全体の情勢や利害得失なのがよく見えて判断がし易いと言うこと。

 感情論抜きに情勢が見えるのが素晴らしい。

 どうしても「悔しさ」とか「目先の欲」で判断が鈍ってしまうが、それがない第三者の方が冷静に合理的な判断が出来る。

だが、その合理的な判断が「正しい」と言うわけではなく、「正しい」と言うのも曖昧だ。

 その時の判断が「正しかった」か「間違いだった」かは、その判断の直後、1週間後、1年後、10年後でも変わってくるし、後からどうにでも言える。

 自分が「正しい」と思ったら「正しい」。「間違い」と思ったら「間違い」だ。

 その判断が正しければ「幸せ」なのか?と言うとまたややこしいことになる。

 幸せとは何か?ってことになると、また話は違う方向に行く。

 利害得失だけで判断できればまだわかり易いが、そこに幸福論まで出てくると

「あなたがそれでいいなら、もう私は何も言うことはありません」で終わりだ。

 当事者の「どれだけ悔しい思いをしたか」「どれだけ嬉しかったか」「どれだけ寂しかったか」「どれだけ悲しかったか」などは、同じ境遇でも個人個人受け取り方が違うように、なんとも言えないのだ。

 それでも結局人生は、そんな感情の起伏の連続で成り立っているわけで、どれだけ嬉しかったか、悲しかったか、悔しかったか、達成感だったりで構成されている部分が多い。

 今年の自粛生活で、イベントがすべてなくなったことで、ふと前半を振り返ってみて、「コロナで大変だった」と言う記憶は刻まれたが、この半年ほどの間に自分は何をやっていただろう?と考えたときに、何もイメージが湧いてこないのだ。

 何もないのが幸せなのか、不幸がなかったのが幸せなのか、被害にあっていないから幸せなのか。

 そう言うことではないのだと思う。

 様々な背景があり、歴史があり、伏線があり、それら全部含めて「正しかった」「あれで済んでよかった」「間違いかもしれないが後悔はない」「あれでよかったと自分に言い聞かせている」「私は不幸になったが、あの人が幸せならそれでいい」とか、たくさんの後付けの言葉は用意されている。

 こう言うことを考えていると、いつもたどり着く先はひとつ。

「すべては自分次第」と言うこと。

 自分がどう思うかで決まると言うこと。

 今日も色々と考えたが、またいつものところに来てしまった。

 

 

 



-ライフシフト, 生活

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