若い時ほど悩めなくなった気がする。
それは良いことであって、それを嘆くことでもなく、まして悩むことでもないとも思う。
「私、むずかしいこと考えていると眠くなってくるのよねー」
そういう妻をうらやましいとさえ思った。
悩むのと考えるとでは違うと思うが、どう違うのかと言われると的確に解説するのは難しい。
最初の「問い」が違うのかもしれない。
まぁそこは今回のテーマではないから置いておいて。

深く悩んでいても、深くあることについて考えていても、
寝てしまうってことはないのだが、以前よりも「深いところまで掘り下げられない」ような気がする。
これは長年の経験上「まぁいいか」と思うことが邪魔しているのか、
それとも考えるための持久力が低下しているのか、
深く考えるための脳の部分が物理的に破損してきたのか?
「まぁいいか」「どうにかなるさ」「ケセラセラ」は、悩んで体調が悪くなった時の応急処置として使用するが、 考え込んで結論を出そうとするときにそれを使ってしまうと、
「それを言っちゃあ、おしまいよ」ってことになる。
「持久力の低下」は、走ることみたいに、日々少しずつジョギングすることで改善するのであれば、
日々考える時間を増やせばいいのだが、
おそらくそれは違うような気がする。
「脳の持久力」ってなんだ?
長いこと考えていると疲れちゃう。どうでもよくなる。
要は昔ほど楽しくないんだな。
以前はどうしてこんなにもいつも悩んでいるのだろうって思っていて、
「そうか、自分は悩むこと、考えることが好きなんだ」という結論に達した。
妻にもそう言われ。
「何も不安なことがなくても、昔の引き出しを引っ張り出しては悩んでいるもんね。それはきっと認めたくないと思うけど、”悩むのが好きなんだよ”。」と。
最初はそれが到底受け入れられなくて、「どうしてこんなに悩んで苦しいのに、それを楽しんでいるなんてはずないじゃないか!」と思った。
しかし、その妻の意見を受け入れなければいけない出来事があった。
あるとき体調を崩して、どんな薬だったのか忘れたのだが、薬を飲んだことで頭がまったく働かなくなったことがあった。 まったくというのは大袈裟だが、それこそあるところでまでは考えられるのだが、
そこから先の深いところ入り込んで考えようとしても、それを考える部位が麻痺しているのかなんなのかわからないが、思考できない。
頭が疲れているとか、ボーッとしているからとか、そういうのじゃなくて、
それを考える部位が機能していないという感覚だ。
足がないから歩けないというようなお手上げ状態だったのを覚えている。
その時のストレスと言ったらもう、
「悩んでいる方がマシだわ!」って思った。
そう、その言葉通り「悩んでいる方がマシ」なのである。
悩んでいる方がマシだから悩んでいるのか、私は。
考えても仕方のないことは考えない方がいいのか?
人それぞれだから正解なんてないのだけど、
悩んでいる方がマシなのであれば、考えて悩むのだろう。これからも。
好きにすればいいってことだ。
聞かなかったことにしよう、見なかったことにしようって選択肢で生きてるこの頃・・・
Akiさん
うんうん、わかる。(^_^)