気が小さいとか、ビビリだとか、小心者、臆病って自分でそう思っている。これは生まれ持った性格と、今までの体験の積み重ねだとかいろいろと考えてみたりする。

いつも吐き気がするくらい悩んで考えているつもりだが、それがちゃんとうまく機能していない気がする。毎回同じようなことで悩んでいるし、以前に導き出した結論によって行動を起こし、うまく乗り越えられたことがあっても、再び同じようなことが起こればまた前回と同じようなことで悩んでいる。
日記を読み返しているとそれを目の当たりにする。数年前の同じ日時に同じことを悩んでいた。その時に自分の行動を参考にしてみたりするが、その時とは微妙に状況が違うからと受け入れない。結局自分はいつも何に悩んで何に迷っているのだろう?
そんな症状を鍼灸の先生に申し上げると、首の付け根に何本か鍼を打ってくれる。そうするとあら不思議。悩んでいたことが雲散霧消してしまうのだ。どうしたらいいのかという結論が出るわけじゃなくて、こだわっていたことが「どうでもよくなる」のだ。
こんな簡単に人の悩みが消えてくれるとなると、これは元々の性格とか今までの経験とか関係ないのではないか?とさえ思ってしまうのだ。
ただ単純な「機能障害」。
「そうやって後ろ向きに考えるのではなくて、何事も前向きに考えてみよう」とか「どうにかなるさと思うことにしよう」とか、そんな解決策はなんだったのだろうって思う。
解熱鎮痛剤で解消してしまう時もあれば、寝て治ることもあるし、散歩してきたらマシになったとかもよくあること。
いざ回復してしまえば日常悩むことは少ないが、行動に慎重であることは変わりがない。やはり悩みは減っても臆病なのは変わらないのかもしれない。慎重なのは自分では嫌いじゃない。今までそれで大きな失敗をせずに生きてこられたのもそのおかげだと思っている。守るべきものがある時にハイリスク・ハイリターンは避けてきた。きっとこれからも避けていくだろう。
鍼灸で鬱症状が一時的に消えても、やはり時間と共に再びふつふつと鬱は蘇ってくる。そしてある出来事をきっかけにまた大暴れする。また頭を抱えて身を伏せて嵐の過ぎ去るのをじっと待つのだ。
いつの日か、悩みから解放される日が来るのだろうか?それが解脱ということなのかもしれないが、そんな日が来るのだろうか?
先日から読んでいる本。「デイトレード 」という株のトレードの本。そこにこんなことが書いてあった。
確実を達成することができれば、精神は明白になり、落ち着きを得られるものと信じられている。しかし、逆説的ではあるが、確実を達成することが出来ないと認識した時に、精神は落ち着きを得られるのである。確実は決して達成することができない作り話である。明日を「予見」することは不可能である。
確実を追い求めれば、失敗と失望と落胆に満ちた未来が待っている。確実ではなく、高い確率を模索すべきである。
「デイトレード 」オリバー・ベレス/グレッグ・カプラ著
株のトレードの本なのだが、哲学書のようなことが書いてあったのには驚いた。さすが「名著」と呼ばれ、トレーダーはこれを読まないといけないとさえ言われている本だ。
何事も長年かけてその道をある程度極めると、ある場所に到達できるということ。どの専門書であっても真髄は同じものになるのかもしれない。そんな気がした1冊だった。
「確実」を得ても心の平穏を得られないのであれば、確率を高めるために模索する。失敗は必ずある確率で起こるべきものであり、問題はその失敗による損失をコントロールするということ。失敗は仕方ない。失敗した時にその影響をいかに最小限にするか。そのコントロールが出来れば心の平穏に近づけるのかもしれない。そんな希望の光を見たような気がした。
