今年はどんな災害が起こるのだろう?
と、想像した中には「ウイルスによるパンデミック」はなかった。
- 月(小惑星の衝突など宇宙的なものか)
- 火(火山の噴火や大火事か)
- 水(大雨による浸水などか)
- 木(山崩れなど土砂災害か)
- 金(経済的なものか)
- 土(大地震か)
- 日(日照りやオゾンホールなどか)
今回の新型コロナウイルスは、このうちどこに分類されるのだろう?自分の中でもパンデミックは想定外だった。
コロナが少し下火になってきたところに、今度は台風。
天災は1年にひとつだけなんてことはないのだ。

感染が広がったことで、社会がこのようなことになり、日々の生活がこんなにも変わるとは思わなかった。
日常的にマスクをつけて、人との接触を避けて、家の中にとじ籠る。

元々が積極的に外に出るタイプではないので、家の中に引きこもっていてもさほどストレスを感じないのだが、それでも制約が出来ると気持ちの上で変化するものがある。
私は、夫婦ともに家の中にいて大丈夫な人で、普段から家内とはほぼ24時間顔を突き合わせているから、それも問題ない。
外食もする方でもないから、三食家で作って食べるし、運動は近くの公園に散歩やジョギングで事足りる。月に数回山を歩くことはピーク時は少し遠慮したが、今は問題なく歩ける。
買い物も近くのスーパーへ。店内ではマスクはするが、それ以上のことはやらずいつも通り。
映画も映画館で観られるようになったし、以前よりも家でネット配信の映画を見る機会も増えた。
隣町には行かなくなったが、住む街では電車に乗って移動もする。

行動範囲は狭くなった。
ほぼ中学生のテリトリーくらいの中で暮らしている。それは自転車で行動できる範囲内だ。
家の中でやることは変化が出ただろうか?
元々がインドア派なので以前と変わらないかもしれない。

「豆苗を育ててみたり」、というのも以前もやっていたし、

「ピザを焼いてみたり」も、以前と変わらない。
収入は減ったが、これは仕方ない。もっともっと大変な方々がいらっしゃる。設備を失ったわけではないので、これからまだ回復することも期待できる。
だが、このコロナ禍で「幸せの価値観」は少し変わったように思う。
「小さな幸せ」が以前よりも輝きを増したように思うのだ。
「小さな幸せ」を以前よりも見つける努力をするようになったとも言う。
夫婦間でも会話はやや増えた気がする。娘ともよく話す。
元々、娘たちとも抵抗なく話すことが出来るし、ありがたいことにこんなオヤジを毛嫌いすることもなく育ってくれた。息子も同様にいろいろと呑んで喋ることが出来る。これも家内による私のキャラ作りのおかげなのかと思っている。
そんなことも「小さな幸せ」。
「法事でみんなが集まること」もそう、
「ご飯が上手に炊けたこと」もそう、
「いい曲で出会えたこと」も、
「足腰が痛むことなくジョギングできたこと」も、
「山に行ったら天気が良かった」
「向かいのおばちゃんが機嫌が良かった」
「枯れたと思っていた草花の根元に新しい芽を見つけた」
これらはコロナのおかげかどうかわからないが、
そんな「小さな幸せ」は、ついつい見過ごしてしまう。
ただ通り過ぎてしまう。

それをヒョイとつまみ上げて「これが幸せの欠片」と思えば、
またそれで幸せを実感できる。
人生って、そんなものかもしれないなって思うようになった。
大きな夢を叶えるのもいいけど、希望に向かって突き進むのも否定しないし、目標を決めてそこに向けて努力するのもいい。
でもそれがないからと言って価値のない人生なんてことはなくて、小さな幸せをいかにかき集めて「ほら、これだけあれば他の人よりうんと幸せなんだから!」って言えるのも十分幸せな人生なんだと思う。

どうせ人生の終わり間際には「あっという間だった」と思うだろうし、「永い夢のようだった」と思うかもしれない。
成し遂げられなかったことばかりだけど、みんなきっとそんなもんだと思う。
みんなおんなじなんだと思う。
だから、大丈夫。
俺なんかさ、って思っていても、
みんな似たり寄ったりなんだと思うよ。
コロナ騒ぎで一番変更されているのは学校関係。
学校保健委員会の会議は今のところ全部中止、6月の5年生相手の講話も中止、全校の検診は9月に延期で再来週の予定。
他近所のクリーン作戦も中止や延期だらけ、お祭りも無いので寄付も無し。ひとり10万円ももらえたし、10月の山行もgotoトラベルで宿泊費35%オフ、コロナ対策費で施設ごとに100万円の補助予算、思いつくだけでいい事づくめでしょうか♪
Akiさん
うちも「たまには温泉でも行きたいねぇ」って話しています。(^_^)