昔、スネークマンショーという桑原茂一氏と小林克也氏でスタートしたコント。
その中のネタのひとつで、
音楽評論家A:「ま~、僕の場合はね、レコードを向こうから取り寄せてるんだけど~
今のロックはさ~、なんちゅ~の?
こう…良いものもある、だけど、悪いものもあるよね。」
音楽評論家B:「ん~僕の場合はね、ちょっとキミとは違うんだけどね。
あの、ミュージシャンの友達がLAとかNYにいるんだけどね~、いつもレコード送ってくれるんだけど、よく聴くと、ま~あの、良いものもある、悪いものもある。」
こんな感じで延々と同じような話が繰り返されていく。
それがおかしくて仕方ないのだが、
これと同じようなことが世間では溢れかえっている。

もっともらしいことを言っているようでも、
よ〜く聞いてみると、まったく内容の無いことを延々と喋っている。
だから聞いている方もその内容をまったく覚えていない。
一度、あるテレビでのあるコメントを文字起こししてみたら、
結局、何言っているのかさっぱりわからなかった。
言ってみれば、
「明日の天気は、曇り時々晴、ところによりにわか雨が降る可能性もあり、帰りの遅くなる人は折り畳み傘を持って出た方が良いでしょう」みたいな、
どんな天気になっても大丈夫な天気予報のコメント。
適当な専門用語を散りばめつつ、決して断言はせずに、語尾をあやふやにする。
その話術たるやある意味職人技でもある。

20代、30代の頃は意気揚々と、自分のファンを作る!とか、いかに自分の魅力をアピールできるか!とか、 そんな本を読んだりした時もあった。
30代後半から40代では、「自分」から「みんな」に変わり、
50代までには、「ファンを作る」とか「好かれるように」とか、そんなおこがましいことは考えず、
「嫌われないように」「迷惑かけないように」と、
走り高跳びのバーの高さを下げていった。
「嫌われる勇気」を読んでも、
やっぱりそんな風に考えを変えることは難しかった。
自分が思うように、自分が気が楽であるように生きるしか出来ない。
なるようになるしかないってところに行き着くのかな?って思うばかり。
そしてそれを、「これでいいんだ」と自分で自分に納得させるしかないんだなって。
きっとまたもうしばらくしたら、次のステージにいくかもしれないけど。