この歳になると、そんなじっくりと自分の顔をまじまじと見ることがなくなった。
それだけに、うっかり間違って老眼鏡をかけて自分の顔を見てしまったりすると、
そこには想像し得ないほどの荒野が広がっていた。
「なんだ今のは!?・・・見なかったことにしよう」
今までは遠目にしか見ていなかった。
「今日も派手な寝癖もなく、目も鼻も口もついてるな」程度だったかもしれない。
それがいけないことかといえば、そんなことはないと思っている。
「木を見て森を見ず」ではないが、
細かいところばかり気にして全体が見えていないのはよくない。
「鹿を追う者は山を見ず」というように、
あるものだけにこだわってしまうと全体を見失いがちだ。
「おぉ、今日もちゃんと起き上がれた。ほらほら、ひとりでトイレにも行けるぞ」
という喜びを感じ、
「もしかしたら仕事も出来ちゃうかも」
というくらいハードルを下げてしまえば、ウキウキとして怖いもんはないのだが、
でもそれも徐々に虚しさを感じてくる。
初めて2本の足で立ち上がった時、周りの人はあれほど拍手喝采して喜んでくれたのに(覚えてないけど)、
今はぎっくり腰で起き上がれなくなった後に、
数日後にやっとストックなしで歩けた時の喜びを誰と分かち合うことができよう。
日常目に入らぬものはあえて見ることはせず、
違和感を感じないものは、大丈夫と捉え、
例え違和感があろうとも、
それは「気のせい」だと受け流したい。
「その症状、放置しておくと大変なことになりますよ!」
お願いだから、そのセリフは言わんといて。

そんなこと言われたら、
とりあえず死んだフリしておきます。