今ここから

なんだかんだで人生飽きないように好奇心だけで生きてきたけど、こんなんでよかったのかなぁ?と言うブログ。

ひとりごと

靴を揃える

投稿日:

 子供が小さい頃、


 玄関にバラバラと靴が散らばって脱いであるのはいい。


 「ちゃんと揃えて脱ぎなさい!」って言う怒鳴り声が響いて微笑ましくさえある。


 仕事を終えて帰宅すると、それほど狭くもないはずの玄関に、


 山積みに脱ぎ捨ててある可愛らしい靴に、


 「今日もみんな元気そうで何より」と感じたものだ。

 今では小さい子もいなくなり、玄関にはちんと履き揃えた靴が数足並んでいる。


 「あ、ちょっとズレてる」って自分の脱いだ靴の前後を揃えたりすると、


 昔の山積みの子供靴を思い出す。


 そのたくさんの靴を踏み越える時の足裏の感触さえまだ憶えている。

 玄関に揃えて脱いである靴は、気持ちもすっきりするが、


 道路脇にきちんと揃えて置いてある靴を見ると、


 「きっと、土足禁止の車に乗るときに忘れてしまったのかな?」と想像する。

 先日は、国道の車線の真ん中に1組の靴が道路に対して縦に揃えて脱いであった。


 あれは一体なんだったのだろう? それなりに混雑している国道なのに。


 そんな「どうしてここに靴が揃えて置いてあるの?」を見るたびに、首を傾げる。

  大きな橋の欄干の下に揃えて脱いであるとゾッとする。


 山を歩いていて、大きな岩の下に乱雑に脱ぎ捨てられた登山靴とか、


 流れの早い川の脇に置いてある靴とその中に無造作に突っ込まれた靴下。


 思わず辺りを見渡してしまう。

 山の中に落ちていた派手な女性用下着だったり、


 急なカーブに置いてある花束だったり、


 子供の学習机の上に置いてある1万円札5枚とか、

 他の場所で見ればなんてことないのに、


 それがあるべき場所ではないところにあると、頭が混乱する。

 モノがそこにあるには、それなりの理由が必要なのだと言うことだ。

 手首を指で触れて脈を感じるのは当たり前だが、


 本を触って、本がドクドクと脈を打っていたら思わず本を放り投げるかもしれない。


 過去の経験をもとに、


 モノがそこにあることと、そこにあっていいことと、そこにあって欲しいことと、あって欲しくないことと、


 チラッとそのものを見たときに、違和感を感じるとか、二度見しちゃうとか、認識さえしないとか、


 意外と見ていないようで見ていて、


 見ているようで見ていない。

 まぁ、そんなことだ。


 って、いつものオチのない話。

-ひとりごと

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

関連記事

あんちょこ

 久しぶりに聞いたなぁ、この単語。  中学生の頃に「教科書ガイド」というのがあって、苦手な科目のものを買った時もあった。  これさえあれば、英語の教科書の単語調べもやらなくて済むし、国語の漢字も読みも …

今どきは

 私がまだ若い頃には、小説の中や歌の歌詞でも「明治、大正、昭和と生きてきて」という言い回しがあった。  今日聴いた上沼恵美子さんの歌の中では、「昭和 平成 令和へと 三つの時代を生き抜いて・・」という …

いざ無くなってみると思い出せない

 久しぶりの比叡山の山頂付近。大比叡の手前に広い空き地があった。  「あれ?ここは以前なにがあったっけ?」  こんなに広いのに、思い出せない。  確か、テレビ中継塔があったな。それが無くなったのかな? …

「阪急 文具の博覧会 2022」

 スッキリ晴れた冬の日。    久しぶりの大都会大阪。  JR大阪駅の阪急うめだ本店の9階で催されている「阪急 文具の博覧会」。 もう、上ばかり見上げている。「高ぇ〜!」  会場では、大阪に住む長女と …

メダカとかアボカドとか

 無事に冬を越すことができたメダカ。  水面に浮いているポツポツは「エサ」。  水面より上の水草は一度枯れてしまったが、春になって再び伸びてきた。メダカも1匹も星にならずに春を迎えた。  タニシも冬の …