
自分の人生の中で、「もしもあの時・・・だったら」というのは、いくつかあるかと思う。
「あのまま、あの人と別れずにいたら」とか、
「もしも、あの場所へ行かなければ」とか、
悔やまれることも、運が良かったと思うことも、
これで良かったのだと自分を納得させてみたりもしたかもしれない。
たくさんの選択を日々繰り返し、人生は進行していく。
選択と言っても、その都度熟考して判断したわけでもなく、
その時の流れで、当たり前に選んだ道がほとんどだ。
改めて立ち止まって悩んでしまった方が、ロクな判断ができなかったことの方が多い気がする。
「よ〜く考えてから決めた方がいいですよ」と言われるのは、非常に困る。
考えれば考えるほどわからなくなるからだ。メリットもデメリットもどんどん増えていき、情報が多くなればなるほど悩みは深くなる。
どちらにしたって、選んだ方が「成功」だったか「失敗」だったのかなんてわからない。何を持って成功なのかもわからないし、それが成功したからってその後に上手くいかないことが起これば、あの時別の方を選んでおけば違っていたかもしれないと思う。
「あの時の俺を今から行って殴ってやりたい」と思うこともあったけど、ここまで生きてしまうと「あの時、別の道を選んだとしても、所詮似たような人生が進んでいたような気がするな」って思ってしまう。

人生の答え合わせってわけじゃないけど、「人生に正解はありません」「正しいも悪いも捉え方次第」「早死に悪で、長生きが善ってわけでもない」「病気になるのが悪で、病気にならないのが善というわけでもない」「人に好かれて友だちが多いのがいいわけじゃない」「人間万事塞翁が馬」なんてことを考えたりする。
子供が生まれたときに、「この子はどんな子に育って欲しいか」って考えたこともあったけど、その多くは今から思えば、もしそのように育ってくれたとしても、その子が幸せかどうかなんてわかったもんじゃない。
「人に優しく、優れた判断力を発揮し、自分への自信に満ち溢れ、協調性があり、個性を大切し、人に迷惑をかけない子」
もう笑うしかないが、そんなことを願っていたかもしれない。そして、全部自分にないものばかりじゃないか!
親の、子に対する「願い」というものは、「自分のようにはなるな」という希望であったり、「こうだったら良かったのに」という過去への反省であったり、それもまだ若い頃のものであるから、今の自分からしてみたら「そんなに期待かけてもねぇ」ってことだ。
それでも「願い」は「希望」と共にあり、「祈り」も「感謝」と共にある。
過去があって、今の自分があるので、あ~あの時に、こうしておけば、って思った事がないです。
今後に似たような選択をする時には、こうした方が良いかな?
というのはありますが。
一般人さん
さすがです。そういう人もおられるのですねぇ。私は振り返って後悔して、「今更そんなこと考えても仕方ない」って思ってばかりです。
>「もしもあの時・・・だったら」
⇒しんちゃんパパと知り合ったのがこれです。
見合いの1週間前、相手が急に出張になり、延期。
その日、大学の友達Fさんに誘われて、ハイキングに行ったら、
しんちゃんパパがいた。(Fさん彼と同じ大学)
そんなこんなで40数年です。
これをしんちゃんママは、「運命の赤い綱!」と命名。
しんちゃんパパは「はさみで切れなかった。残念!」と嘆いています。
しんちゃんママさん
>「運命の赤い綱!」
「綱」って、笑っちゃいました。確かに綱だとハサミで切るのは大変です。(^_^)
夫婦のご縁って不思議ですよね。