大津では「北国海道」とも呼ばれているが、一般的には「西近江路」。
大津から琵琶湖の西岸を通って北陸へ続く道。
「壬申の乱」の時には、大海人皇子が不破関から琵琶湖北側から西に回り込んで近江高島の古城「三尾城(みおき)」に行軍しており、
その後、藤原仲麻呂の(乱恵美押勝の乱)においても、平城京から宇治を通り、大津から三尾城へと向かっている。
戦国時代でいえば、大河ドラマの「麒麟がくる」において、信長が朝倉(ユースケ・サンタマリア)攻めにおいて、一乗谷城の戦い・金ヶ崎の戦い・小谷城の戦いにてこの道を通って大軍を移動させている。
この道標は大津市の三井寺の仁王門から琵琶湖に向かって下ったところにある。
↑観音寺西交差点の信号機マークの左側の場所だ。
道標には「右 山王唐崎道」と「右 三井寺観音堂」と彫られている。
この場所に立って、右へ進めば山王(日吉大社)唐崎(唐崎の松)への西近江路へ。
三井寺は左の道に進むとそのまま仁王門になるので、この場所にあった道標なのかどうかといったところだ。
違う面には、「文政」という文字が見られるので、江戸末期のようだ。
地図上の緑色の線は、
「大津絵の道」と呼ばれている。
この道は、両端に花壇があり四季折々の花が植えられていて、車両も進入できない気持ちの良い散歩道。
元々は、現在は廃線になってしまった江若鉄道が走っていたところだ。
江若鉄道の「江」は近江、「若」は若狭。近江と若狭を結ぶ路線として作られた。
↑先日歩いた時には蝋梅が咲いていた。この独特な花弁の質感。作り物のような、不思議な透明感のある黄色がなんとも麗しかった。
↑琵琶湖疎水の取水口。
先月中旬は湖水が引き込まれていなくて、底が見えていたが、
↓ 先日は、やっと水が入ってきていた。まだ水位は低く、本格的には取水していなようだが、清掃は終わったような感じだった。
大津の町は、歴史を感じながら歩いているとどんな時代にもタイムスリップ出来て楽しい。
近頃、風景にスマホをかざせば、古代の風景が映し出されるっていうサービスもあるようだが、
下調べしていけば、自分の頭の中で壮大なイメージを作り出せるので、私としてはそこでチャチな実写化は要らない気がする。


藤原仲麻呂の乱なんてすっかり忘れていた単語です、
吉備真備が70歳で朝廷軍総大将ってのがすごいですねー。
その後孝謙天皇も亡くなり道鏡も奥日光金精峠の名前の由来の伝説を残し下野に都落ち、NHKでこの頃の歴史ものやってくれても面白いと思うけどね~
>蝋梅が咲いていた
⇒きれいに撮れてますね。
>大津では「北国海道」
⇒〝海〟ですね。
松戸に〝水戸海道〟という道標があることは思い出しました。
当て字?
だから、石造物がおもしろい。
Akiさん
この時代には生まれたくないけど、日本史の中ではかなり面白い時代ですよね。こちらには色々と史跡も残っているのでイメージが膨らみます。
なのに大河ドラマでは一度も取り上げられていないのですね。小説やコミックではもてはやされているのに不思議です。
しんちゃんママさん
「東海道」も、「東海地方」の「道」と言うより、「東」の「海道」なのでしょうかね?(^_^)