「だから言ったじゃない!」
と言われるのが嫌いだ。
だから自分も人には言わないように心がけている。
「それは危ないからやめておいた方がいいんじゃない?」
「いやいや大丈夫、大丈夫。心配ないって!」と、安易に手を出して、
案の定、失敗する。
自分でも薄々その可能性はわかっていた。
でも「やめておいた方がいいんじゃない?」と言われると、
ちょっと意地になってしまうところもあった。
「だから言わんこっちゃない!」と言っても何も進展しない。
「だから俺の言った通りにしておけばよかったのに」などと続けたりもしない。
「あ〜、やっちまった!」と言うことは自分が一番よく分かってる。
その傷口に塩を擦り込んで欲しくない。
「私があれだけ言ったのに、どうしていつもいつもそうやって無茶するかなぁ」
「あ〜あ、だからあの時やめておけばよかったのに。私言ったよね?」
この辺りまでくると、もうすでにその言葉は相手に聞こえていない。
聞きたくない言葉は、耳に入ってこない。
「あ〜あ」も言わず、
ただただ手助けしてあげる。
気が動転しているだろうから、冷静に前に進めるように最小限の適切なアドバイスをして、
可能であれば手伝い、必要があればその仕事を自分で引き受ける。
そんな人にボクはなりたい。
何事も経験、失敗も楽しまなくっちゃね♪
そうですよねぇ。
様々な注意忠告は、配慮、心掛け、もっと申せば「愛」の表れでもありますが
事が起きてから更に何度も示されると、どうしようもなく嫌になる。
でも、私は、やっぱり言ってしまうかもしれない。
自分のコトバ、キモチが伝わってなかったんじゃないかという苛立ちなんだと思う。
家族は言わないタイプだけれど。
心底呆れて言わないのかもしれないが、それも配慮だとすれば、それも「愛」だと思いたい。
Akiさん
ホントおっしゃる通り。少しずつそう思えるようになってきましたが、まだまだです。^_^;
宮澤カラスさん
岡目八目で、端から見ている人の方が全体が見えているので的確なことも多いのですが、やっている本人は「自分が一から段取りしてやっているから自分が一番わかっている」と思い込んでいて視野が狭くなっていることが多いんですよねぇ。
「はじめから私の言った通りにやっていれば良かったのに」なんて言われたらもう意地になってもっと深みにハマっていったりします。ヒトの感情って難しいです。
それをすべて包み込んでしまう「愛」をうまく表現できる言い方があればいいのですけど、今の私にはまだまだのようです。