中学3年生の頃だったろうか。
フォークギターからエレキギターに持ち替えた。
高校の入学祝いに亡き祖母が買ってくれたYAMAHA SA-700。赤いセミアコ。
今でもお気に入りのギター。
このギターを選んだのも、プリズムというフュージョンバンドのギタリストである和田アキラ師匠への憧れだった。
プリズムというバンドの曲は難解でよく分からない。
コード進行も一度聴いただけではまったく理解できない。変則リズムも多用し、聴きながら手拍子なんかもできない。
ヘッドホンをして目を閉じる。アキラ師匠のギターが意味のわからないマントラのように頭の中を動き回る。
まぶたの裏側の真っ暗な闇に、ペイズリー柄が万華鏡のように現れては消える。
その感覚がなんとも心地いい。楽譜にできない音楽。
コピーなんて出来ない音楽。
高校時代同じ感性を持った奴がいた。
いつも教室の一番後ろの席で授業も聞かずに文庫本ばかり読んでいる奴だった。
見た目は少し不良っぽい奴に見えたので、話しかけることもなかったが、
そいつがある日突然話しかけてきた。
「お前さぁ、プリズム聴くんだって?」
「あぁ、聴くよ」
それが奴との出会い。
プリズムのベースをこよなく愛する奴と、プリズムのギターをこよなく愛する自分との出会いだった。
新譜のレコードが発売されたら、二人でそのアルバムを買って、奴の家のオーディオで二人でレコードに針を落とした。
「最高だな!」
「うん、最高だ!」
プリズムの曲を引きたくて奴と一緒に必死に練習した。
二人で学校にエレキギターとアンプを持ち込んで、放課後の音楽室で練習した。
吹奏楽部のドラム担当を引っ張り込んでバンドを作った。
あちこちのライブに出させてもらったり、コンテストにでたり、ライブハウスにも出させてもらった。
今から思えば夢のような音楽生活だった。
そんな音楽生活の中で、いつも「ギターの神様」として君臨していたのがギタリスト和田アキラ師匠だった。
今朝、目覚めて布団の中でスマホニュースを確認すると、
PRISM 和田アキラさん死去
緊急入院して闘病生活とは聞いていた。しかし、また復活すると信じていた。
先日、ドラムの村上ポンタ秀一氏も亡くなったばかり。
昔のプリズムのメンバーである、ドラムの青山純氏、キーボードの佐山雅弘氏もすでに鬼籍に入っている。
深町純氏も、松岡直也氏も、みんなみんな逝ってしまった。
まだ64歳。
早過ぎます、師匠。
合掌
学生時代よく聞いたねー
他のメンバーもすでに亡くなってたのは知らなかった、
ホントに早すぎます、合掌
Akiさん
好きなギタリストはたくさんいますが、アキラ師匠だけは別格でした。中学時代からずっと追いかけてきました。寂しい限りです。
佐山雅弘さん
⇒パイプオルガンのA先生の師匠(ルッツ教授)と
佐山雅弘さんが川崎のホールでジョイントをされ、
何回か、聴きにいきました。
⇒開演前にはアルコール販売があるおしゃれな演奏会。
ルッツ先生もクラシックオンリーではなくて、
JAZZ風アレンジ(即興)の演奏もされるので、
とても息の合ったお2人でした。
思い出します。
しんちゃんママさん
調べたら佐山雅弘さんが亡くなられたのも同じく64歳でした。佐山さんのHPにお別れの言葉が記されております。そこには「『君の身体は君の食べたモノで出来ている』と言いますが、まったく同様に僕という者は僕が出会った人々で出来ているのだとしみじみ実感したことです。」と。
音楽のジャンルに関わらず、たくさんの人と出会ったことで佐山さんのあのピアノがあるのだなって感じられます。晩年のピアノは本当にお優しい。聴いているだけで心が洗われるようです。ルッツ先生も、佐山さんのためにバッハのスタイルの「Over the Rainbow」を書いておられるのですね。一度聴いてみたいです。