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なんだかんだで人生飽きないように好奇心だけで生きてきたけど、こんなんでよかったのかなぁ?と言うブログ。

乾癬

自分ってやつは

投稿日:

 「自分」が何者であるかというのは考えれば考えるほどよくわからない。
 それがわかったところでどうってことないのだが、暇な時に考えてみると頭の中でぐるぐる考えて結局何が何だかわからなくなる。
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 私の妻から見ている「自分(私)」と、娘から見ている私は同じではない。
 お隣のご主人から見た私と、職場関係の人から見た私はきっとかなり違うだろう。
 自分も自分のいろいろな面を知っているので、それら全部ひっくるめて自分なのかな?って程度。
 自分では自分がわからないから、時には自分探しの旅に出かけちゃう人もいるだろう。
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 旅で出たら環境も当然変わるだろうから、いつもの場所で暮らす自分とは違う自分が見えてくるかもしれない。
 それが本当の自分かというと、それもよくわからない。
 自分は自分を取り巻く人から作られている存在であって、自分なんてものはない。
 その自分を取り巻く人たちだって、それをまた取り巻く人たちから作られているから、結局なにもない。
 「空(くう)」である。それが理解出来れば悩みも消える。というのが仏教の教え。
 「ネバーエンディングストーリー」という映画で、この世界(ファンタジェン)はみんなの想像力で出来ている。
 みんなが想像をやめたらこの世界は無くなってしまう。というのがあった。
 これは、私を知っている人が誰もいなくなれば、自分が消えてしまうという事にもなる。
 自分の体のどこを探しても自分なんていない。
 ヒトの体は60兆個or37兆2000億個の細胞で出来ているらしい。
 それを一つ一つ調べていっても「自分」はいない。しかも、その細胞は常に新しいものと入れ替わっている。
 とても流動性のある分子の集合体でしかないとも言える。
 自動車を見ても同じようなことが言える、
 「白い自動車」に赤い照明をあてて見た人は、「赤い車だった」というし、暗い場所で見た人は「黒っぽい車だった」というだろう。
 運転者によっては、乗りやすくて快適な車だったと思うだろうし、ある人には扱いにくく格好悪い車だったと思うかもしれない。
 自動車を分解してみると「これはタイヤ」「これはハンドル」「これはエンジン」、「一体自動車というものはどこにあるのだ」と探しても自動車が見つからないのと似ている。
 「原動機の動力によって車輪を回転させ、軌条や架線を用いずに路上を走る車」
 これが「自動車」ってこと。それじゃ「車」とはなんだ?というと、「車輪を取り付けて、荷物や人を運べるようにした道具」となる。
 このように「自動車」だけでもそれを「自動車」と呼ぶにはなかなか難しい。
 自分が自動車と認識しているものは、自分がそれを自動車だと認識しているからそこに存在し得るものなのかもしれない。
 ましてこれが「自分」となるとこれまた厄介なのである。
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 今はVR(バーチャルリアリティ)の技術で、目の前に実体がなくとも、そこにあるように見えて、それに触れれば指先に触れた感覚もあり、その温度や質感まで体験できたりする。
 そうなると、自分の実体がここになくても、見ることができて、触れることが出来て、声も聞くことができて、匂いも嗅ぐことも出来るようになったとしたら、何をもって自分が自分であり得るのかわからなくなる。
 元々人間はそういうセンサーをつけて生まれた生物であり、実際にそういった物体がなくともそう感じられるように出来ているのだとすれば、やはり仏教が説くように、すべては「空(くう)」で何もないのかもしれない。すべては自分の頭の中で作り出した産物であり、それによって悩み苦しんでいる一人芝居なのかもしれない。という事にもなる。
 これは大乗仏教の「唯識論(ゆいしきろん)」にもつながる気がするが、まだ唯識論もよく理解していないのであまりその沼の深みにハマらぬよう気を付けようと思うばかりだ。
 こう書いていても、最後は結局よくわからないまま、どう文章を終わらせたらいいのかもよくわからないままダラダラと終わる。
 毎日ブログを書いていると、こんな日もあるということでご勘弁を。
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 自然の藤の花が満開だった。

-乾癬

執筆者:


  1. 一般人 より:

    余程、暇だったと言うことが伝わりました。

  2. 匿名 より:

    >「空(くう)」
     ⇒声明の講座で、A先生がよくおっしゃっていました。
      大学院生の講義に使ったレジメだったので、何が何やら?????
      講座の内容は全然理解できなかったけれど、
      あの空間は居心地がよかった。
      KURI様のコメントを拝見し、A先生を思い出しました。
      「A先生、お元気になられましたか?」・・・。
      
      
      

  3. Aki より:

    余程暇でもめんどうなのでそんなこと考えません、答えにたどり着けなそうなことを考える気力ないし・・・

  4. KURI より:

    一般人さん
    恐れ入ります。(^_^)

  5. KURI より:

    しんちゃんママさん
    >あの空間は居心地がよかった。
    それが大事ですよね。(^_^)

  6. KURI より:

    Akiさん
     おっしゃる通りです。頭が疲れます。

  7. あかいみ より:

    五蘊皆空・・ってやつですな。。「私」は田んぼで稲を刈ってる象形、「我」は本来「のこぎり」の意味で他から自を切り取ること・・日本では本来あんまりほめられたニュアンスではない言葉が、西洋化の中で「自我の確立」だとか「個性」とかで祭り上げられた結果、しかと持っていないとまずいぜ、、といつのまにかすり替えられてしまった。なので、多くの人の腑に落ちないままどっかに引っかかって、そのまま傷みだしているかわいそうな存在、それが「自意識」。以上、すべて受け売りです。自分探しで、自分を見つけられた人はいないと思うよ。それより僕と踊りませんかって、井上陽水も言ってるじゃあ~~~りませんか(追悼)。

  8. KURI より:

    あかいみさん
     労働に「私」や「我」は邪魔になる。昔のアニメのヒーローは悩まなかったけど、ガンダムから悩み出して、エヴァンゲリオンではその悩みはかなり深くなってしまった。こうなると作業効率悪いから、疲れたら考え込まずに酒飲んで踊って忘れて、明日もみんなで頑張ろう!の方が、何かと都合がいいよね。(^_^) 

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