大文字山を歩き始めて、早いものでもう10年ほどになる。
最初はどこから山に入ったらいいのかさえ分からなかった。
インターネットで登山口と下山道を調べてから子供たちと登った。
SNSで素晴らしい山仲間と出会い一緒に何度も歩くうち、やっと10年経って全体像が見えてきた感じがする。
↓歩き始めて1〜2年ほどで軌跡はこんな感じ。
「とりあえず自宅から見える山は歩いておこう。」
そんな気持ちであちこち歩いていた気がする。
歩き始めて2年くらい経った頃。
大体の道は歩いたかなぁという頃に、2013年(平成25年)台風18号によって「特別警報第一号」が発令。
↓我が家のすぐ近くのJR法面(のりめん)も崩れて東海道線が止まった。
いつも当たり前に歩いていた大文字山も通行不可になっていた。
それでも状況が知りたくて、行けるところまで行ってみると。
倒木と土砂崩れで、とてもじゃないが前へ進めない状況であった。
日本の歴史とともにたくさんの人が歩いてきた道も、
ほんの一晩で無くなってしまうものなのだと教えられた気がした。
それからまた何年もかけて、少しずつ少しずつ道が作られ、
今ではほぼすべての登山道が歩けるようになっているかと思う。
↑ これは現在の様子
ここも災害直後は倒木がひどくてまったく歩けなかったと思うが、
道を塞いでいる倒木はあちこちに許可を取り付けてからチェーンソーで切断し、
切断したかなりの重量のある木も、この道を愛する方々が大人数で担いで取り除いたと聞く。
本当に頭の下がる思いだ。
こうやって今現在も山をちゃんと歩けることは、そんなたくさんの人たちの善意と努力によるものである。
そんなことも少しずつわかってきた。
私は10年も山を歩いていても、ほぼこの大文字山と比叡山と音羽山くらいしか知らない。
アルプスも登ったことないし、富士山も登っていない。雪山も、岩山も、渓流らしいところもよく分からない。
日々この山を登って、四季折々の自然を感じ、
度重なる自然災害による大きな破壊から、何度も再生していく姿を見ていると、
そんな大きな流れを感じられるようになってきた。
山は生き物であり、自分もその一部であると。
自分の体の中にいる常在菌も含めて自分であるように、
山を歩く自分も含めて大文字山なのだろうなと思うようになった。
そう思うと、山を大切にするということ、街をきれいにしようということ、家をきれいに保つということ、
人間関係も良好でありたいということ、目の前の人に優しくしようということ、
すべてつながっているということがイメージできるようになってくると思う。
>倒木と土砂崩れで、とてもじゃないが前へ進めない状況
⇒四国お遍路中、台風の被害で本堂まで上がれず、
山の中腹に、塩ビの屋根の下にお賽銭箱と納め札箱だけが
置かれた質素な仮本堂。この仮本堂も何かのご縁だと思いました。
数年後、テレビで本堂修復完了のニュースが流れ、
うれしくなった記憶があります。
そんな意味でも例の両崖山もすぐ復旧しそうです。
たまに行く榛名の水沢山も地元の有志でよく整備されてていい山だけど、
其の有志だらけなので、部外者扱いの視線が怖い、地元愛もほどほどにしてほしい山も時々あるよね…
しんちゃんママさん
どの地域でもここ10年くらいで多かれ少なかれ災害に見舞われている感じがしますよねぇ。次はどこだろう?と思っていたところで新型コロナだったので、「そうきたか!」と思いました。
Akiさん
それぞれの山に対する認識が、一緒だったらいいのですけど、難しいですよねぇ。