ピラミッドやナイアガラの滝って、
実際にどこかにあるのだろうけど、
一度も見たことがない。
いや、写真や映像でしか知らない。
それを見てきた人もいるし、その場にいてリポートしている映像も見たことあるけど、
それが本物だという保証なんてない。そして、今もそれが存在するのかもわからない。
これは私にとっては「無いのと一緒」なのである。
ゲームの中の世界と一緒。
私の大好きなテレビゲーム「ゼルダの伝説 ブレスオブワイルド(略してブレワイ)」でも絶景はいっぱいある。
この絶景は人の手で作られたもので、実際には無いものだ。
と言っても、ナイアガラの滝もピラミッドも、
きっと私は本物を一生見ることはないだろうから、
私にとっては、ゲームでの架空の風景も、実際にあるという絶景も一緒なのだ。
どうせ本物が見られないのならば、
身近な夕焼けの方がよほど美しい。
夜、見上げている星だって、
何万光年も遠いところにあるのだから、
今見ている星は、何万年も前に発せられた光ってことで、
今現在その星があるかどうかさえわからない。
視聴覚室の遮光カーテンの隙間から差し込む細い光。
それに照らされる無数の埃。
それを見て
大宇宙をイメージできる人、
鼻がムズムズしてくる人、
ダイヤモンドダストに見える人、
天使の梯子を思い浮かべる人。
それを見てどうイメージしてしまうかは、これは人それぞれなのでどうにもならない。
でもそんなことはどうでもいいことなのだ。
自分の目に入ってくる光の情報を、自分の脳が他の五感の情報とを合わせてどの様に分析して判断するか。
それによって「美しい」とか「感動的」だとか、「体が震える」とか「涙が出てくる」とかという反射や反応を示す。
今までの生きてきた経験の中で、
今までこの目を通して入ってきた光線と、その時の温度湿度、風、匂い、気圧、さまざまな音、
そして、一緒にいた人。
その時の感情。
言葉。
あらゆるものを情報として収集し、
それを分類、整理、取捨選択、忖度してデータベースにしまう。
それを次に取り出すときには、
どんなハッシュタグで引っ張り出されるのだろう。
そして、自分はどんなラベルを付けてその出来事を記録したのだろう?
イヤな思い出として記録したのか。
いい思い出として記録したのか。
その記録にはどんなラベルが付いているのだろうか?
そのラベルを書き換えたい時もある。
書き換えることは可能なのだろうか?
「私は今までずっとあなたのことを恨んで生きてきました。でも今は感謝しています。」
生きている時間が長くなると、ラベルも擦れて判読が難しくなってくることもあるだろう。
老眼で見えにくくなってもくるだろう。
「イヤな思い出」と印字されたラベルも、少しずつインクが滲んできて欲しい。
そうすれば過去も変えられるかもしれない。
あのことがあったから今の幸せがある、と思えるかもしれない。
頭の中には、自分でも把握できていない記憶がたくさんあるのだ。
インディージョーンズ 失われたアークのラストシーンのように。
感動するような景色って最後に見たのはなんだろう、どこかの山頂からの俯瞰だったかなー、きっとすごいって思ったのだろうけど、それがいつだったのかw
高度感があって怖いのなら今でも新たに経験してますけど・・・
Akiさん
>高度感があって怖いのなら
あまり味わいたくないですね。若い頃よりも足がすくむかもしれません。