「馬鹿力」と「金剛力」と「シャカリキ」。
「馬鹿力」は、みんながあきれるほどの強い力。人並み以上の大きな力を「あきれたり」「ののしったり」していう言葉。
「金剛力」は、金剛力士のような大力。
金剛力士といえばコレ。
↑ 以前、「奈良東大寺」に行ったときに撮影したもの。
この金剛力士さんの力だから相当なものだろう。人の力とは思えないような力。決してあきれたり罵ったりはしない。
気になるのは「シャカリキ」だ。
漢字で書くと「釈迦力」となるらしい。
このシャカリキ、実はよくわかっていない。
「お釈迦様が衆生のために尽くす様」とも言う。
その力の大きさと言うよりも、その行動自体を言っているような感じ。
「シャカリキに働く」は、私利私欲のために働くと言うよりも、社会貢献として献身的に働くイメージが見えてくる。
しかし、今自分がイメージしている「シャカリキ」は、
どちらかと言うと「ガムシャラ」とどう違うのだろう?とさえ感じる。
「ガムシャラ」は、「我武者」と接尾語の「羅」が合わさった単語。
「我武者」は、「我が強いワガママな武士」。
ガムシャラ=なりふり構わず一生懸命な様子、と言う説がある。
「なりふり構わず」からイメージしていくと、
「おおわらわ」と言う単語を思い出す。
漢字で「大童」と書く。
「童」は3歳くらいから元服までの子供。
髪型は束ねず下に伸ばしている。岸田劉生の童女像「麗子」のイメージだろうか。
「大童」は、武士が戦場で一心不乱になりふり構わず戦っていて、
束ねていた髪を振り乱し、兜を脱ぐと大きな童が髪をボサボサにした状態。
そんな状態を「おおわらわ」と言うらしい。
他にも「なりふり構わず」的なものでは、「遮二無二」(=前後の見通しも考えないで、むやみやたらとガムシャラにやること)と言う言葉もあり、
「てんやわんや」や「にっちもさっちも」とか、
似たような言い回しがたくさんあるのが不思議だ。
「てんやわんや」は、私が子供の頃に人気だった漫才師を思い出すが、「手に手に」の「てんでん」と、「わや」と言う「無茶苦茶や」と言う言葉が合わさった言葉という説もある。。
「にっちもさっちも」=「二進も三進も」そろばんの割り算から出た言葉で、「物事が行き詰まり、身動きのとれないさま。」
ひとつひとつ調べていって、その微妙なニュアンスの違いや語源を辿ると実に面白い。
あまり漢字のイメージでとらえてない単語ばかりですね、
シャカリキって空回りしているイメージでしょうか…
Akiさん
私もそんなイメージです。そんな日本語が思ったよりたくさんあるなぁって。話し言葉を無理矢理あとから漢字をあてたんじゃないかと思うような言葉多い気がします。言葉を文字にするって大変だったろうなって思います。
今回もテーマもおもしろいですね。
>「ガムシャラ」は、「我武者」と接尾語の「羅」が合わさった単語。
⇒勉強になりました。
>「金剛力」は、金剛力士のような大力。
⇒なるほど・・・。お遍路さんの時、持って歩くのは金剛杖。これからお大師様のお力をいただけるのでしょうね。旅館に入る時はバケツの水で泥を落として、きれいなタオルで拭いて、部屋まで持っていく作法。床の間のあるお部屋は床の間に置く。パワーのもとなので、大事にするんですね。納得!!!
しんちゃんママさん
金剛杖は、旅館ではそういった作法があるのですね。知りませんでした。どこかのお宅にお邪魔した時に、その金剛杖が床の間に飾ってあるのを見たことがあります。色々と腑に落ちます。