乾癬 先回り 投稿日:2021年9月8日 「先回り」という言葉に、懐かしさを覚えた。 どうしてあの頃の自分は、あんなに急いていたのだろう? 何に「間に合わない」と思っていたのだろう? 不思議の国のアリスの白ウサギのように、 雨の降る予報でもないのに傘を持ち、 いつもちらちらと時計を気にしつつ、 アリスとの会話もまともに出来ていない。 あの頃の自分は、あの白ウサギのようだったかもしれない。 ある日、私と息子がそれぞれの車で、ある場所に向かって走っていた。 信号でギリギリ黄色になり、先を走る私は通過し、 息子は停車した。 しかし、先に目的地に到着したのは息子の車。 咄嗟に「きっと、あっちの細い道で先回りしたんだよ」と妻に言う。 近道も、細かったり、人通りが多かったりすると避けるようになった。 極力リスクのない道を選ぶようになった。 少し時間がかかっても、シンプルな道へ。 ただでさえ、時の過ぎゆくのが早く感じる。 心がのんびりしてきたのかなぁ? 「先回り」と言う言葉に、 なんとなく懐かしさを覚えた。 Twitter Facebook Google+ Pocket B!はてブ LINE -乾癬 執筆者:biglobeKURI
急がば回れですね、事故りたくないし・・・
Akiさん
ホントそれです。
車幅感覚も、反射神経も、動体視力も自信がなくなってきたしなぁって感じです。それだけに、停止線きっちり止まって、スピード遵守になりました。
『先回り』というコトバを久しぶりに見聞きしたように思います。
子供の頃であれば、別の近道を通り誰かを驚かそうとする程度のことかもしれない。
オトナ社会であれば、先を見通し行動することだろうか。
どちらも、それなりの意図があって行動するわけだから、エネルギーが要りますね。
我々くらいの年齢以上になると、そのエネルギーの出し方が、若い頃と違って来るのかもしれません。
カラスさん
こんにちは。そうそう、そう言う感じです。(^_^)
近頃「先を越された」と焦る気持ちも悔しい気持ちもなくなってきたのも同じ感覚ですかねぇ。これを良しとするか、遺憾と思うか。「それもよし」って程度に思っています。
どんなに近くでも、助手席に乗って、安全確認係。
マンション敷地から県道に出る市道が鬼門。
スーパーが近くにあるので、お年寄りの自転車は左右の確認なく、直進。
お年寄りの歩行者は道の真ん中をゆっくり歩く。
⇒クラクションを鳴らして、転びでもしたら大変なので、
通り過ぎるのを待つ。
おばさんやおじさんの一部は自転車で看板のかげから飛び出してくる。
毎回、4つの目で確認しています。
しんちゃんママさん
義父母がそうでした。駅までのちょっとしたお迎えでも助手席に義母が乗ってアシスト。義祖母が生きていた時は後ろに義祖母も乗せて娘(妻)を送り迎え。
私も徐々にそうなりつつあります。特に見えにくい夕方は助手席に乗ってもらうと安心します。