国定忠治がらみで目に入ったのが文字が「八木節(やぎぶし)」だった。
子供の頃、お祭りではこれがBGMだった。
横笛から始まり、ハッピを着た男たちが、鼓や太鼓を棒で叩き、
コンチキの鐘がテンポよく鳴り響き、
中央で樽を叩きながら唸り謡う。
懐かしくてYouTubeで動画を探した。
江利チエミが歌うもの、オーケストラの伴奏、三味線のものなど、
どれも自分の記憶している八木節とは違っていた。
その中で「これだ!」と思ったのが、「上州八木節保存会」のこの動画。
そうそう、これこれ。
このリズム、このグルーブ感!
もう何年も生演奏を聴いていないな。
この歳になって、何か物足りなさを感じて、
それがなんなのかよくわからなかったけど、
この八木節を聴いて、一つのパズルのピースがバチっと入ったという感覚があった。
足りないピースはまだいくつもありそう。
きっとそれは、
茹でた「かき菜」に醤油をぶっかけて食べるものであったり、
「にぼうと」という煮込みうどんであったり、
たっぷりの温泉に大の字に浸かって「んああぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜とっ!」と声を絞り出すことだったり、
初冠雪の赤城山を遠くから眺めたり、
夕日に染まる浅間山や榛名山をシルエットとして見ることだったり、
方言とか標準語とか関西弁とか気にせずにしゃべることだったり、
いつもの場所へ行けば、いつもの顔があるということだったり、
寂しい時にはここ、うれしいときにはここ、困った時にはここという場所に行くことだったり、
予約もなしに「どーもー!」って入っていって、「いるん?」「いねんかい?」って言える場所があったり、
そんなどこかへ無くしてしまったピースの入るべき隙間が、
心のあちこちに空洞となって空いてしまっているっていうことなのかな?
今、ふるさとに帰ってもおそらくそういう場所はない。
昔の記憶の中に、そういうものがあったような気がするという程度だ。
であるから、自分の思い描いている「ふるさと」という世界は、
自分が作り出した仮想世界なのだ。
それでもそこへの愛着があり、
そこへ帰りたいという気持ちも持ち続けている。
その「ふるさと」というのは、一体なんなのだろう?
「遠きにありて思うもの」であるが、
実のところ、
一周まわって
「今いるここ」がそうなのかもしれない。
そうだったのか、
「そうか・・・ここが今まで探していたふるさとだったのかぁ!」
人生、最後はそういうオチでありたいものだ。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」
太田まつりの八木節大会もいい感じだけど、やっぱ桐生が本場かな・・・
Akiさん
ノリが微妙に違うんですかね? あの軽快なリズムは病みつきになります。あのリズムは西洋ではあまり聴いたことないけど、マイケルジャクソンの名盤「スリラー」の一曲目の
「Wanna Be Startin’ Somethin’」とか、高中正義の「BELEZA PULA」みたいに、ずっと聴いていたい心地よいリズムです。
>「ふるさと」というのは、一体なんなのだろう?
⇒どこだろう????????
山形で生まれたけど、父の転勤で生後21日で盛岡へ、
その後は2年おきに、父の転勤で引越引越。
10歳から結婚するまで千葉。(その間、父は単身赴任)
結婚して10年間は所沢で、
松戸の社宅に住んで、このマンションに・・・。
一番長いのは千葉県。でも、ふるさとという感じは全くしません。
むしろ、徳島がふるさとっていう感じ。
アポなし訪問、しかも、訪問するほうにイニシアティブのあるやつ、あの田舎にはまだあるよ。まあ、年寄りの間にだけだけどね。ベースには「訪ねてもらえるうちが花・・」という考え方があるのかもね。八木節。浄土系(おそらく)の宗門の葬式で土地の爺さんたちが歌った「念仏申し」(十三仏の名前の唱え歌)が近くの子供たちの間で流行ったことがあった(苦笑)。立て続けにいくつかの葬式があったからだろうか。その哀調に満ちた調べが、なんとなく元気のない八木節のようだった、日本音階だからなのかな。。今は歌わなくなったね。俺はまだ覚えてるけど、そのうち消えちゃうんだろうね。
しんちゃんママさん
しんちゃんママさんのお話を伺うと、「ふるさと」なんだろうって思います。みんなそれぞれの「思い出の場所」というのがあって、それが旅行先だったり、ちょっとした滞在場所だったりするのかもしれないなって。
「心のふるさと」なんて言い方もあるくらいですから、「生まれ育った場所」ということに限らず、日本人にとって「ふるさと」というのは、思う以上にもっとたくさんの意味を含めるのかもしれませんね。
あかいみさん
その集落によって独特の風習とか慣習とかあったんだろうな。こっちにはこっちの独特なものがあるし、「なんだそれ?意味わかんない。」ということも多い。「念仏申し」も全く知らないです。こちらの「地蔵盆」とか「十三詣り」とか、当たり前にやっているけど群馬じゃ聞いたこともなかった。哀調に満ちた「念仏申し」、聞いてみたいな。(^_^)