毎日、晩ご飯を撮影している。
「いただきます」の直前に、みんなを待たせての撮影なので、5〜6秒の間に2〜3枚撮る。
近づいて撮って、引いて撮って、場合によっては一緒に食べる顔も撮る。
デザートも撮る。
甘いモノの時は、大抵みんないい笑顔をしているので、その笑顔もいただく。
特別な朝は、朝食も撮る。
珍しく子供たちが揃ったりすると、目玉焼きにスマイルを添える。
長いこと弁当も作っていた。
そんなこともあったなぁと、今となっては遠くを見るように懐かしい。
頑張って働いたら、美味しいものを食べたくなる。
美味しいものを食べたらまた頑張れる。
昔のように、家族7人揃うことはもうあまりないかもしれない。
夫婦ふたりだけということが多くなった。
ふたりはふたりなりに楽しい。
気持ちは付き合っていた当時のままだ。
「久しぶりに『たそがれ清兵衛』を観てさぁ。」
「あの映画の真田さんよかったよねぇ。宮沢りえの演技もすごくよかった」
こんな何気ない会話が出来ることがとても幸せなことなんだと思う今日この頃。
たまたまひとりで食事を作って食べることになって、
「やば、これマジうまいわ。」って時に、
「次はこれ作ってあげよう」と思うワクワクする気持ちと、
それを食べている時の相手の笑顔を想像することが幸せだったりする。
感動を共有できる人がいるというのは幸せなこと。
母は死んでしまったけれども、
「今日は昔お袋さんが作ってくれたあの料理を作ってみたよ。なんだか懐かしくなってさ。」と、仏壇に話しかけると、
遠く離れて暮らしていた時よりも身近に感じたりする。
子供たちに作ってきた料理は、
きっとその多くは忘れられてしまっているだろうけど、
「なんか変わったもんいっぱい作っては食べさせられたわ」って思っているだろうと思う。
食材をかき集めて、調理してみんなで食べる。
毎日の「おはよう」と「おやすみなさい」と、
たくさんの「いただきます」と「ごちそうさま」。
人生はその繰り返しで出来ている。
さて、今夜は何を食べようか?
長いこと弁当も作っていました
⇒同じく。
しんちゃんパパ、サラリーマン時代はお弁当。
息子たちも幼稚園・高校・大学はお弁当。
あの頃は月にお米30キロ。なつかしいです。
今はお米5キロを食べるのに1ヶ月以上・・・。
昨晩はしんちゃんパパが会社帰りに北千住駅で買ってきてくれた
定番テイクアウトが主食でした。
子供の弁当は大変。
まっこと美味しそうなお料理。拝見しながら、ゴクリと喉が鳴りました。
「料理が趣味」と公言なさるだけあって、盛りつけから考えられている。
お弁当の写真では、思わず感嘆の声をあげました。
ワタシ、結婚して間もなく、義理の母から、刺身の盛りつけを命じられたことがありました。それは、ワタシの腕を試すものだったらしく、見事に死んだ魚が寝そべっているような無様さに、絶句されたという苦い経験がありまっす。
いまだに、センスゼロです。
しんちゃんママさん
ひと月にお米30kgはさすが男の子ですね! 我が家は女の子が多かったので、人数は多くても10kg少ないです。
一般人さん
高校時代は自分も母に作ってもらって、「これは入れるな」とか、「あれは美味しくなかった」とか文句言っていました。今、「あの時はごめんなさい、そしてありがとう。」と仏壇に手を合わせています。
カラスさん
>死んだ魚が寝そべっているような無様さ
その文章の表現力は、最高の盛り付けに感じてしまいます。(^_^) いつもながら、お辛い出来事だったはずなのに、つい笑ってしまいます。
『これは入れるな』『あれは美味しくなかった』とかは言わなかったけど。
『これ美味しいから毎日これでいいです』『これ以外は止めてください』ってお願いしました・・・
Akiさん
なぜか、今になって思い出してしまいます。今まで気にもかけていなかった親へ放った言葉の数々。