子どもが出来て数年経って、
保育園・幼稚園に入ると「送り迎え」が必要になる。
「ちょっとお迎えに行ってくる!」とか、
「今、急用が入っちゃったからお迎えに行ってくれる?」
20代、30代の「お迎え」は、園のお迎えだった。
その頃のご近所さんも同世代夫婦が多かったので、
朝は自転車での送り迎えのラッシュだった。
「お隣のお爺ちゃんにお迎えが来ていたよ!」
「え?! お迎え?!」
「そう、デイサービスのお迎えね」
「あ、あぁ、介護施設のお迎えね。ドキッとしたわ」
ご近所は高齢化が激しく、狭い住宅地の朝と夕方は、
介護施設の送り迎えのラッシュで大渋滞。
西洋での最後のお迎えは「天使」だったり「死神」だったりするらしいが、
日本では「阿弥陀如来」がお迎えに来てくれることになっている。
「お迎え現象」という言葉があるくらい、
その時が来たら
「死んだお父さんが迎えに来てくれた」とか、
「先に行った親友が来てくれた」とか、
その場の人には見えないものが見えるらしい。
お迎えに来てくれる「阿弥陀如来」は、
漢訳では「無量寿仏」と言う。
先日、醍醐寺の素晴らしい紅葉を見てきたが、
あの一番美しかった場所の名前が「無量寿苑」。
「あの世に来ちゃったと思ったくらい美しかった」と書いたが、
まさしく極楽を意識して作られた庭園だったのかもしれないと思った。
秀吉が亡くなる年、
春に「醍醐の桜」を愛でて、
秋にはここで紅葉狩りをするのを楽しみにしていた。
しかし、それを待たずにその年の夏に62歳にて、
お迎えが来てしまった。
その秀吉が見られなかった紅葉が、
今この時代に華やかに色付いている。
>その場の人には見えないものが見えるらしい。
⇒義母は義父が亡くなった翌日、
認知症で入院していた病院の壁を指さして、
「さっき、お父さんがきたよ!」と言い、
義父の死を知らせていなかったので、びっくり。
⇒主治医と相談して、伝えないことを決めました。
義父が病院にお見舞いに来なくなった理由は、
「お父さんは認知症がひどくなり、
N市の老人介護施設にお世話になっているから!」と伝えました。
義母を看取ってくださった主治医S先生、若いけれど、
とってもいい先生でした。
今でも病院の近くを通ると、S先生に心の中で感謝。(今も在職)
しんちゃんママさん
そのようななことがありましたか。不思議なものですね。
うちの子たちも、孫も、天井の隅っこの方を見ては「キャッキャ」と声を上げて笑っていることがありました。
きっと亡くなった義父母やら母やらが来てくれて、あやしてくれているのだと思っています。(^_^)
亡くなる数日前の義母も、同じように天井の隅っこ見てニコニコしてしていました。やっぱりあれはお迎え現象だったのかもしれませんね。
義父は倒れる2日前に、しんちゃんパパ&ママが認知症精密検査に連れて行きました。病院の帰り、藍屋でランチして、帰ろうとしたら、義父が「コーヒー飲んで行こう!」と言い、3人でコーヒーを・・・。
翌日、義父は床屋さんに行き、翌々日の朝、朝食に来ないのを心配したスタッフさんが合鍵で部屋に入ったら倒れていて、救急車・・・。
それまでは用事が終わると「帰る!」と言って、一緒に食事をすることはありませんでした。あの日はランチ&コーヒーで、午後4時頃まで一緒でした。今考えると、「お別れ!」だったのだと思います。
藍屋の前を通ると、鮮明に思い出します。
しんちゃんママさん
あるんですね〜、そういうことって。自分の行動を思い返してみても「どうしてあの時あの人に逢おうって思ったのだろう?」って不思議に思うこともあります。よくわからないものに動かされる感覚ってわかる気がします。
義姉としんちゃんパパは実子なので、義父に厳しかった。でも、しんちゃんママはフリーの立場で義父の言うことを一応受け入れたので、「内緒だよ!」と言って、残高たっぷりのSuicaをくれました。(もちろん、しんちゃんパパには報告)
しんちゃんママさん
>「内緒だよ!」
微笑ましいエピソードです。(^_^)