「なるようにしかならない」ってことなんだろうか?
数ある人生の分かれ道において、「ただなんとなく」どっちかの道を選んで生きてきたはずだが、
その決断も「自分はこうにしか生きられない」とか、
「あの状況ではこうするしかなかった」とかで、
かなり限られた選択肢の中での決断だった気がする。
勉強して有名な高校や大学に入れば、
「それだけ人生の選択肢が広がるってことだよ」って言葉を耳にしたが、
どうなんだろうねぇ?
人間、選択肢が100もあったら選べたもんじゃない。
消去法で次々と候補を消していくと、最後に3つくらいになって、
それだって決められない。
何が良くて何が悪いのかって言うのも良くわからないし、
同じ事象でも、あれは失敗だったと思う人と、あれはあれで価値があったと思う人と、
あれがあったから今があると思う人といろいろ。
若い頃は、「自分の人生は自分で切り開く」と言う言葉にワクワクしたが、
今、その言葉を子供たちに自信を持って言えるか?と聞かれたら、
多分言わないだろうなぁ。
だからと言って、「なるようにしかならんのよ」と夢のないことも言うつもりもない。
諸々引っくるめていろいろあるけど、
「人生楽しんで」
かなぁ?
いや、スネークマンショーじゃないけど
「人生、いいこともある、悪いこともある」
いやいや、もっといい言葉があるだろうな。
そう考えている自体が、
「なにかいいアドバイスをしてあげよう」と言う傲った気持ちなのかもしれない。
みんな同じ時代を生きてきて、
他から見てすごい体験をしてきたと自負される人も、
自分では大層な経験もしてこなかったと思う人も、
今まで幸せだったと思う人も、
苦労の連続だったと思う人も、
その受け止め方で自分の人生というものを語るのだろう。
だからまだ、
人生を語らず。
だからこそ語れず。
わかればわかるほど、わからないことが増えていく。
ゴールが見えてきたと思うと、必ずその後にゴールが遠ざかっていく。
やがて同じことを30年40年とやっていると、
生きている間にはゴールに到達出来ないと確信できるようになる。
諦めるとは違う。
自分の追いかけていたものは、想像以上に大きなもので、
ゴールは想定していた場所よりも遥かに遠かったというだけだ。
結論なんてものはないけど、
そんなことを考えている暇があったら、
「何かに夢中になってろ!」っていう、
いつもの場所にたどり着いて終わる。
こういうことを考えるボーッとした時間が嫌いじゃない。
KURIさんは兄貴と同じ大学に行くと自ら言って今の職は決めたみたいだけど、こちらは小さな頃から今の職がいいんじゃないかと言われ続け、あまり考えも無くなずるずると来てしまったかな。
実際10代で将来の仕事決めるなんて難しすぎるけど、中学・高校ってもっといろいろな職業の紹介をしてくれてもいいと思います、小学校には逆にそうゆうのあるけど、幼過ぎて決めきれないし実感わかないし…
まあそうゆうのってそれ専門の人材が必要になるけど、歴史だけ数学だけとか特化した先生並べても結局世間知らずな状態で大学に送りこまれているよねぇ
Akiさん
10代では将来の仕事決められないっていうのはその通りですよね。かなりの無茶振りです。
「何かやりたいことの一つや二つあるだろう」なんて言われたら「お前はどうなんだよ」って今なら言い返したいくらい。(^_^)
あの頃は何も考えていないようで、色々考え過ぎていました。大人は色々見聞きした上での、良かれと思ってのアドバイスだったろうと思うけど、お互いの波長が違いすぎて、こちらも「とりあえずこう言えば収まりがいい」っていう方に流されてしまうのかなって思います。
何かを始めたいときに、あれをやっておけば、良かった。
思わないために、いろいろやるのは、大切かも。
一般人さん
「いろいろやってみよう」っていうことは大切ですよねー。「ダメで元々、色々やってみよう」「やってみなけりゃわからないから、いろいろやってみよう」「とにかく色々やってみようよ」って、そういやぁよく使うかもしれません。(^_^)
>数ある人生の分かれ道において
⇒よく思うのが、「(大学)浪人しなければ、しんちゃんパパに出会わなかったなぁ!」と・・・。大学の同級生の彼氏と同じ大学だったのがしんちゃんパパ。しかもしんちゃんママのお見合いが2週間延期になり、その間に会ったんです。「君とは赤い糸ではなくて、赤い太い綱でつながれて、君に強引にたぐり寄せられた!」と申しております。牛か???
しんちゃんママさん
なかなかすごい馴れ初めと言いますか、出会いですね!
「もしもあの時〇〇だったなら・・・。あなたはこの世に生まれてこなかったかもよ。」って世界です。
最後の「牛か???」は笑えました。(^_^)